『HOTEL RWANDA/ホテル・ルワンダ』を観たよ。
監督・製作・脚本は『IN THE NAME OF THE FATHER/父の祈りを』のテリー・ジョージ(Terry George)。
出演はポール・ルセサバギナ役に『CRASH/クラッシュ』のドン・チードル(Don Cheadle)、ポールの妻タチアナ役にソフィー・オコネドー(Sophie Okonedo)、オリバー大佐はニック・ノルティ(Nick Nolte)、カメラマンのジャック・ダグリッシュ役にホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)、ほか。
さるおがアフリカに行ったのは2003年です。この作品の舞台となったルワンダの隣国タンザニアに行きました。
映画の終わりに、何人かの人々がタンザニアに逃れています。あぁ、近くだったんだなぁ。
もちろんアフリカに行きたいと思った時点でアフリカのことはいろいろ勉強しました。でもまた、あらためて思いますね、近くだったんだなぁと。泣けてきます。本当に。
1994年、ルワンダ。もうずっーっと内戦やってたわけですが、この作品で描かれるフツ族とツチ族の衝突の臨界点(この場合はフツ族によるツチ族の一方的な虐殺)は、1994年、つい昨日のできごとです。民族対立ってなんですかね。あんたはフツだから貧困にとどまれと、あんたはツチだからその上の階級だと、よそから勝手にやってきたヨーロッパ人が決めるわけです。
さるおが行ったタンザニア(あるいはケニア)のマサイ族だって同じです。「あんたらマサイ、この四角の中から出ないでね」と勝手にやってきたイギリス人が言っただけです。「おれたちマサイ」なんて誰も言ってない。
勝手にやって来て、勝手な秩序を押し付けて、格差を生み、差別を生み、貧困を生み、絶望を生み、希望だけは搾取して去って行く。それが歴史が物語るヨーロッパ人です。ひどいなぁ。
ぎりぎりの均衡を保っているうちはいい。格差を受け入れ、差別を受け入れ、貧困を受け入れ、絶望を受け入れる、そういう土壌のある地域というのは存在します。その弱さも罪の一部ではある。そのシステムが機能してしまう、そーゆー社会です。被支配者もまた、支配されることを選び、慣れ、支配されていることを忘れるという、罪の一部を内包している。
ただ、均衡が崩れて臨界に達したとき、おびただしい量の悲劇が起きる。隣人が殺され、自分は隣人が殺されていくのを見ているだけです。友人の屍でできた道を、自分は友人を踏みつけて歩かなければならない。自分の親や我が子の屍でできた道を。
こんなことは起きてはいけない。
2、3年くらい前かな、同じアフリカのコンゴだったかアンゴラだったかスーダンだったかどこだったか、その国の内戦の実情を書いた記事を読んでね、ショックで大泣きしました。内戦だから、国内で2大勢力がぶつかってるわけね。で、一方のゲリラ軍がね、5、6歳のコドモを誘拐してくるわけです。で、その子の母親も別に連れてくる。で、コドモの方にナイフを渡して、母親に引き合わせるわけです。そして、「ママの腕をそのナイフで切断しろ」と命令する。当然嫌がります。そんなおそろしいことできない。ところが「やらないなら、おまえもママも殺す」と言われてしまう。
これはもう切るしかないわけです。いや、楽に死なせてくれるなら殺されるほうがよっぽどいいんですけど、そうはいかないわけです。6歳のコドモが、生きている人間の腕を、しかも母親の腕を、正気で切断できるはずない。おそろしすぎる。あまりにおそろしすぎる。
狙い目はそこです。正気で切断できるはずがない。だから狂ってしまえということです。
つまりこれは、アサシン養成。こんくらいを乗り越えないと、真のゲリラ屋にならん、"殺人"という行為への恐怖を麻痺させて戦士を作りあげよう、そういう活動が現実に行われている。
こんなことはあってはならない、断じて。6歳のコドモの手を母親の血で染めてはいけない。
ショックで泣きました。恐ろしくて恐ろしくて、そして怒りで体が震えました。誘拐担当のおまえ!命令してるおまえも!勝手に自分の両手両足でも舌でも首でも切ればいいじゃないか!何やってるんだ、人間は。何て愚かなんだ、人間は。
タンザニアを旅する前年にさるおはカンボジアにも行きましたが、あそこのコドモらも手とか足が地雷で吹っ飛んでいます。何て身勝手なんだ、この世界は。
映画『ホテル・ルワンダ』は観なければならない作品ですが、観て、話術と知略だけを武器に家族と1200人もの人々の命を守り抜いた1人のホテルマンの奇跡の逸話だ!と感動している場合ではないです。
絶対に価値ある作品であることに異論はないですが、閉じた世界で起きている悲劇と、グローバルな規模で行われている茶番劇を、本当に伝えきったのかどうか、少し疑問です。
This movie, “Hotel Rwanda” will be a wake-up call. Take the message and be a messenger!
世論は実際に動いたようですが、あれで伝わったのかな?虐殺の実態と何より大事なその背景は伝わったのかな?個人的なドラマになりすぎてないかな?
冒頭からミル・コリンで将軍達が会合を持っていたシーンも重要だし、そこにポールが入っていく意味も重要、4つ星だということだけが命綱、ミル・コリンが外国資本だということの意味が本当にわかっていないと背景がうまく見えてこないんじゃないかなぁ?
劇中にこんなシーンがあります。カメラマンのジャック(ホアキン・フェニックス)が決死の覚悟で撮影した"虐殺"、その映像を観て、「ひどいわね」と言ってどうせまた夕食を続けるんだと。そしてポールも言います、「みんな(欧米諸国や国連)恥ずかしくなって、たすけに来るさ」と。
観客ひとりひとりに宛てたメッセージではないかな。晩飯を食い続けるさるおに、恥ずかしくなれと。
さるおね、小学生のころ、「ユニセフにぼきんするとごはんがない人をたすけられるんだってー」と学校で言われたとおりにさるおママに報告したことがありました。そしたら聞かれました、「何してあげたいと思うの?」って。で、きっと秋だったんだよね、「なし(梨)むいてあげたいね」って答えたんだよ、さるお。うちのママさんは言いました。「オトナになったらよく考えて、自分で持てるだけ梨持って、自分の足で行ってみなさい。自分の手でむいてみなさい。梨を食べさせたいんなら、自分で方法を考えなさい」
今ならわかる、その複雑さが。そして、あるいは一握りの飛び込んでゆく人たちがいることも。
「うん、そうだね」って返事したはずなのに、さるおは「ひどいね」って言ってまた晩飯食ってます。何やってんだ、さるお。実際に、遠くの誰かをたすけている余裕もないし、もし誰かをたすけるならば身近なところが優先です。それが世界というものです。大切なのは、"なぜ虐殺が起きたのか"、"なぜ貧しいのか"を知ることです。
映画としてすごい傑作だとは思いません。虐殺の事実は伝わっても、"なぜ"という、感傷では済まない部分は伝わったのかな?
そうね、a wake-up callだな。
それでもたまには世界を知って、自分を恥じて自分を呪い、世界を恥じて世界を呪い、泣かなければいけないと思います。もちろんルワンダ以外にも、そして自国も。
もうひとつ大事なのは、「欧米のモノをすべて受け入れて、自分も支配層と変わらない、そんなふうに思ってしまった」というポールのセリフ。ここは深いっすね。被支配層の愚かさです。被支配層が罪の一部を担ってしまう。象徴的な重いセリフです。欧米のモノをすべて受け入れた自分を過ちだと嘆きながらも、舶来の4つ星というその"品格"にたすけられたのも事実です。
エンディングの曲がまた泣けてきますねぇ。
日本語の公式サイトはこちらです。
http://www.hotelrwanda.jp/
こっちは英語ですが、より雰囲気が伝わるかな。
http://www.hotelrwanda.com/
ブログじゃなくてメールマガジンの、本家"ヨタ話★スターメンバー"に、ぜんぜん明るいですけどさるおの旅行記があります。タンザニア編は『さるおのアフリカ珍道中』、カンボジア編は『カンボジア』です。
心ゆくまでさるお、もんち!