2006年11月10日

アルバス・ダンブルドアのホークラックス(Horcrux) ハリポタ究極のテーマは a choice between what is right and what is easy.

さるおです。
スーパーポッタリアンなので、これで勝ったな!という妄想希望を、ほんとに妄想切望なんですが、思い切って書いてみようと思います。ということはこのエントリーはおもっきりネタばれてますけど、とにかく、『HBP』の解釈から『HP7』の大予想へとつながる、大事なとこっす。ネタばれコメントも大歓迎なので、そっちも気をつけてね。記事は反転色にしてあります。
訳本は読まないので日本語訳がたまにヘンだと思いますが、それは許してください。
ハリポタ辞典のもくじはこちらです。

ホラス・スラグホーン(Horace Slughorn)は言いました。
"By committing murder. Killing rips the soul apart. The wizard intent upon creating a Horcrux would use this damage to his advantage..."
(さるお訳:人殺しするんだよ。殺しは魂を引き裂く。Horcruxを作るのには、そのダメージをアドバンテージにするんだ)

さて、"殺し"は本当に邪悪だろうか?

チョコレート・フロッグのおまけカードのダンブルドア編には、彼は1945年にグリンデルワルド(Grindlewald)を撃退したことで有名だと書いてあります。撃退(defeat)かぁ・・・やっぱり微妙っす、殺したのか、殺さなかったのか。
殺害行為は、邪悪な行為である。
そう言ってしまうと、まさかあの善人のじーさんが殺人者だなどとは思えない。

しかし、しかしですよ。
... it could be me next, couldn't it? But if it is, I'll make sure I take as many Death Eaters with me as I can, and Voldemort too if I can manage it.
(さるお訳:もし次に殺されるのが僕だとしても、そうなったらできるだけ多くのDEと、できればヴォルディも、道連れにしてやるぅ)
という、ハリーのまさかの熱い大量殺人予告(『HBP』)に、
"Spoken both like your mother and father's son and Sirius's true godson!"
(さるお訳:よく言った!あんたはやっぱりポッターの子、シリウスのゴッドサンだNE!)
と言って大喜びのダンブルドア、ハリーの肩なんか叩いちゃって、大ハッスル。

また、ダンブルドアが言ってるのはこういうことなんだ、とハリーがついに理解するシーン(『HBP』)にもこう書いてあります。
It was, he thought, the difference between being dragged into the arena to face a battle to the death and walking into the arena with your head held high. Some people, perhaps, would say that there was little to choose between the two ways, but Dumbledore knew - and so do I, thought Harry, with a rush of fierce pride, and so did my parents - that there was all the difference in the world.
(さるお訳:戦いの場に引っぱり出されて否応なく向きあうのと、顔を上げて自らの命を懸けて自分の意志で戦場に向かうのと、違うんだ。その中間があるっていう人もいるかもしれないけど、ダンブルドアにはわかってる、僕にだってわかった、ぜんぜん違うんだって。僕の両親がそうしたように、僕だってやるんだ。ふんがー)

"正義"なんだよね。たとえ結果が殺害行為であろうと、これは鬼退治なんです。
予言は、ハリーが何かをやらなければならない、という内容ではない。だから、自由にしていいと、校長は言います。ヴォルディに背を向けて、逃げてもいいと。
ただしそれでも、むこうは勝手に追っかけてくる。
ならば戦え。顔を上げろ。
ダンブルドアが言ってるのはそういうことなんだ。
ハリーの大量殺人(予定)が正義であるならば、ダンブルドアだって殺人者かもしれない。だって、グリンデルワルドがアズカバン(Azkaban)に収容されていた、というような情報は見当たらないもん。ハリー対ヴォルディ、これと同じだったかもしれません、ダンブルドア対グリンデルワルドの戦いも。

ところで、"ハリー・ポッター年表2 Chamber of Secrets解錠〜浄化開始"に書いたんですけど、ヴォルディとグリンデルワルドは出会っているかもしれない、そして、ふたりの密会を阻止するために、ダンブルドアはグリンデルワルドと戦ったのかもしれません。150年も生きている"戦士"が、自分の鼻は2度も折れてるのに(his nose was vary long and crooked, as though it had been broken at least twice. 『PS』より)、誰も傷つけたことないなんて、それこそファンタジーっす。
ということはもしかすると、次世代のグリンデルワルド(つまりヴォルディ)はHorcrux(es)を持つかもしれないと、予測していた可能性もあります。だとすれば、老いてゆく自分の力と敵の力をせめて互角にするために、そしてそれを次世代のダンブルドア(つまりハリー)に遺して勝たせるために、あることを行ったかもしれません。
そう、ダンブルドアもまた、Horcruxを作った。しかも強力なやつを。
ミネルバ・マクゴナガルも『PS』で言ってますね、ダンブルドアは絶対に使わない(と信じている)けれど、すべてのdark artsを知っていると。
ダンブルドアはDark Magicを"よい行い"、すなわち正義に使おうとしているかもしれませんよ。

ホラスの説明はこうです。Killing rips the soul apart. The wizard intent upon creating a Horcrux would use this damage to his advantage.
魂を引き裂くのはKillingであると。それを利用して - もっと言ってしまえば、人の死を利用して - 自分は不死を手に入れようという、その行いが邪悪なんだな。
さるおね、授業でマウスの解剖とかやりましたけど、手に感触が残ります。今でも、指先が冷たくなるような、なんちゅーか、指先に罪が残っている。たぶんこれが、"rips the soul apart"ということなんだろうと思います。わざとじゃなくてミスであっても、言ってはいけないことを言ってしまった後、取り返しのつかないことをしてしまった後、魂を引き裂かれて、そのままになってしまう。誰の人生にもあるよね。そーゆーことを言ってるんだと思います。
だから、Killingというのは"罪"という事実であり、罪を利用する心が邪悪なのであり、Horcruxはコンテナだと、そーゆー位置づけではないかと思います。
邪悪な殺意がなくとも、正当防衛であれ事故であれ、そして正義のためであれ、殺害というのは感触が手に残る。ダンブルドアはその痛みを知っているのかもしれません。
でも彼のことだから、その痛みを、後世に遺して正義のために役立てようとした。
ヴォルディを滅ぼすという正義のためです。
ならば、ヴォルディが絶対に支配できない何か、ヴォルディに絶対負けない何か、ヴォルディがいくつHorcruxを作ろうが、ヴォルディがどんな呪文を唱えようが、絶対に失われることなく、壊されることなく、最後は勝つ何か、そこに自らの魂のかけらを封じ込めようと考えた。
そうです、不死鳥。フォークス!
これならどうしてダンブルドアが、ナギニちゃんをヴォルディのHorcruxesのうちの1つだと思いついたかも説明がつきます。
ダンブルドアは、ナギニちゃんがスリザリンゆかりの蛇だと思っている。でも、スリザリンゆかりのモノといえば、すでに指輪やロケットを使っているし、ハッフルパフのカップも使っている。品格にこだわるヴォルディとしてはそりゃスリザリン由来のモノは何でも魅力的に見えるでしょうが、ずーっと"モノ"を使ってきたのに、なぜか1つだけは"生き物"だろうと考えた。これは不自然だもんなぁ。自分が経験者なら、容易に思い当たる。

対極の存在、重荷を運ぶ忠誠と癒しの鳥フォークスと、邪悪な毒蛇ナギニ。両者ともに強力そうですが、決定的な違いがある。ナギニちゃんは、死にます。不死鳥は、灰の中から甦り、永遠を生きる。勝負あったな(笑)。ダンブルドア、賢い。
しかも、パーセルマウスのハリーはナギニと話ができますが、ヴォルディはフォークスと話すこともできません。最終決戦のフォークスvsナギニ戦、勝ったYO!

ということで、フォークスはダンブルドアのHorcruxだ!という、これは本当に妄想の域を出ませんが(涙)、とにかく、『HBP』でダンブルドアとお別れするのはあまりに寂しいので、書いてしまいました。
ただし、マクゴナガルさんが言うように、自分の不死のためなどには"絶対使わない"。だから生き返るわけじゃありません。あくまでも、フォークスを通じて、なんかしらの方法でハリーをたすけようとしています。

だからこそ、フォークスは逃げたんじゃないか。ホグワーツで捕まらないために。ダンブルドアは"I shall have only truly left Hogwarts when none here are loyal to me."(私を信じる者がいるかぎり、私はけっしてホグワーツを去らない)と言ったのに、いなくなった理由はこれではないのか。学校に残ってひとしきり歌った後、どっかへ飛んでっちゃいましたよ。
もしもこの妄想(笑)のように、フォークスがHorcruxであるならば、その秘密を知っている誰かが、必死で探して捕まえようとしているかもしれません。ヴォルディと戦うために、あるいはヴォルディに差し出すために。

そういえば、どっかに走ってっちゃった人もいましたね。セヴルス・スネイプさん。

もしこの秘密を知ることになれば、ヴォルディと戦うために、ハリーとしてはフォークスを見つけたいところっす。ここでのハリーの選択肢は2つです。ダンブルドアを復活させてたすけてもらうか、あるいは17歳の"オトナ"として自分の足で大地に立ち"The Chosen One"として自らバトルフィールドに入っていくか。

A choice between what is right and what is easy.
正しきことと、易きこと、どちらかの選択。
でっかいテーマです。勇敢なテーマです。魔法使いであれマグルであれ、同じだな。
『ハリポタ』は、コドモがオトナになる話です。挫折と哀しみと苦悩と絶望に彩られた青春の物語です。オトナになるとき、人はひとりぼっちで何かと対峙しなければ、そしてそれを越えて行かなければならない。コドモが、守ってくれる親鳥の羽を失い、オトナになって自分の足で歩き出すまでの、準備の話です。決して、"魔法使いの話"などではない。
『HP7』でハリーは、正しきことと易きことという究極の問いに、命がけで答えを出します。

そうそう!守ってくれる親鳥の羽といえば、"『HP7』でこの人が死ぬ!その2"に書いたハグリッド、彼ならフォークスを見つけて捕まえられるかな?だってハグリッドのことは、ダンブルドアが"I would trust Hagrid with my life,"と言ってました。ルビウス・ハグリッド、Keeper of Keys and Grounds at Hogwarts、彼はもしかしたら、フォークスはHorcruxだ、という秘密のKeeperでもあるかもしれません。

心ゆくまでさるお、もんち!
posted by さるお at 09:14| Comment(8) | TrackBack(0) | ハリー・ポッター大辞典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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