2007年06月08日

映画鑑賞感想文『ブロークバック・マウンテン』

さるおです。
『BROKEBACK MOUNTAIN/ブロークバック・マウンテン』を観たよ。
監督は、映画賞総なめですごすぎるアン・リー(Ang Lee)。原作は『THE SHIPPING NEWS/シッピング・ニュース』のアニー・プルー(E. Annie Proulx)。
出演は、イニス・デ・ルマーに『THE BROTHERS GRIMM/ブラザーズ・グリム』のヒース・レジャー(Heath Ledger)、ジャック・ツイストに『DONNIE DARKO/ドニー・ダーコ』『JARHEAD/ジャーヘッド』『ZODIAC/ゾディアック』のジェイク・ギレンホール(Jacob Gyllenhaal)。イニスの妻アルマ役はミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)、ジャックの妻ラリーン役はアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)。

普遍的な純愛ストーリー。素晴らしいです。
だけど、素晴らしすぎ、美しすぎると思いました。
「異性愛であれ同性愛であれ、愛することは素晴らしい。私には偏見などない。」
そう言ってみせるだけなら、あまりに単純すぎる。たしかに、"愛するということ"は素晴らしいけれど、同性愛者にとって、異性愛と同性愛には"社会が生み出した"違いがあると思います。同性愛は、嫌でも"社会が生み出した"苦痛を伴う。この作品は、本来あるべきではないその痛みを描いているけれども、それよりも"愛の素晴らしさ"が優先してしまい、あまりに美しく、あまりにシンプルに哀しすぎると思います。

理由は、よくわからないけれども、たぶん、主人公ふたりがブロークバック・マウンテンで異性愛と同性愛の境目を失ってしまったから、かな。
ブロークバック・マウンテンは、下界と完全に切り離された、ふたりにとっての楽園です。世界には、自分たちふたりだけしかいないわけです。そしてお互いに恋に落ちるけれど、特にイニスは"いけないこと"だと思ってるから、山から下りると別れるわけです。ほんでそれぞれに結婚して、子供を持つ。ところがそれで終わらない。"本当に好きな人は他にいるんだけど、障害があるから、この人と結婚した"んだけど本当に好きな人が忘れられない、という状況。つまり、性別というカテゴリを越えた物語です。
愛は素晴らしい。愛は美しい。
でも、(もしかしたら)一般ウケを狙いすぎて、「愛は素晴らしい、愛は美しい」に終始してしまった。キレイに作りすぎたよなぁ。そんな簡単に片づけられない。できすぎた話だ。

しかしまーそれでも、愛が素晴らしいのは真実で、その愛を"禁断"と呼ぶ敵があまりに巨大な"社会"であるがゆえにものすごい悲恋なわけで、感動して泣いちゃうわけですが。

「男二人で暮らすなんて問題外。どうにもならないよ。堪えるしかないんだ。」
「いつまで?」
「堪えられる限り。終わりはないんだ。」

そうっすね、この痛みには終わりがない。苦しいっす。

よかったのは、この作品が寡黙だということ。鈍感に観ていると、感動できない可能性ありじゃないかと思うほどに(笑)。そこがリアルでよろしいなと思います。社会を怖れて感情を押し隠し、自分自身ですらその押し隠した感情について行けず、自分と社会に振り回され続けるのが人生です、昔も今も、そして誰でも。

怖いものなしで天衣無縫にみえるロマンチシストのジャック。彼は楽園ブロークバック・マウンテンを追い続ける。一緒に農場やって暮らせばいいじゃんとか言って、資金の出所は、大繁盛しているロデオクィーン妻の実家。つまり、自分が同性愛者だということは妻のパパさんにもバレてて、金ならやるから離婚してくれと、そう思われている。ジャックがリッチな奥さんをもらったこと自体も運命的というか、ジャック目線ではそれなりに、"イニスと生きていくプラン"ができあがっている。
長距離恋愛で長距離移動するのもジャック。苦しさのあまり"イニスの代わり"を求めてメキシコに行ってしまうのもジャック。そして、イニスのシャツを自分のシャツで包むようにして持ち続けてるわけです、死ぬまで。ジャックの恋は炎のようっすね。

イニスはどうかというと、(直接ではないにせよ)同性愛者を殴って引きずって殺した男の息子です。9歳で、"教育のために"その惨殺死体をわざわざパパに見せられた。今考えればこりゃとんでもない父ちゃんですが、1963年はそーゆー時代だった。"バレたら殺される"ぐらいに思ってます。
ところがジャックとは運命の出会い。ブロークバック・マウンテンを去るとき、あっさり「じゃあな」とか言いつつ、物陰に隠れて号泣。あの泣き方はもう悲痛を通り越し、胸が張り裂けそう、というより裂けちゃった、ぐらいに痛々しい。抑えようとすればするほどに、痛いっす。おとなしいイニスは、本当は心の底に激情を押さえつけています。切ないなぁ。
だけれど、人に知られるわけにはいかない。知られたら、社会で生きていけない。家庭もあるし、仕事を見つけるののも大変だし、休暇ばっかりもらってられないし、会えないよ、ということになる。切ないなぁ。

お互いに思いが募りすぎて「忘れられたらどんなにいいか」「おまえに会って人生めちゃめちゃだ」っちゅーことになる。
そしてジャックは死んじゃいますが、あれはリンチのあげくの殺害っすね。イニスの想像として描かれてますが、ロデオクィーンのパパさんですね。9歳のイニスが見せつけられた"社会が襲いかかる"という恐怖が、また起きてしまいました。恐ろしい皮肉が、イニスの人生に再び起こってしまうところが、なんともかわいそうです。

感動的なのは、分骨した骨をあずかりにイニスがジャックの実家をたずねたシーンっすね。パパさんは、その事件を許していない。なぜうちの子はこんなことになったんだ、誰がうちの子を殺したんだ、そう思って、息子も、"うちの子が愛したイニス・デ・ルマー"も呪っている。おまえに骨はやらん、と言う。
しかーし、ママさんというのはえらい。そんなことは、すべてのことは、自分が許し、自分が守り、自分が愛してやればいい。そういう確信に満ちた包容力で、世界中が敵でも、自分だけは我が子を見捨てない。だから、「また遊びに来てね」とシャツを譲ってくれます。パパもママも、なんとも泣けます。
今度はジャックのを内側に、自分のシャツで包むわけっすね。今度はイニスがジャックを守っていく、ずっと俺たちは一緒だと。

自分には、ブロークバック・マウンテンしかないんだ。
下界の倫理と切り離された楽園、ブロークバック・マウンテン。青い鳥が歌ってウイスキーが噴水になってるような、夢の場所だったんだな、本当に。でも、彼らには、そこしかなかった。地上に生きる場所は、ありませんでした。
いったいどーすればよかったのか。ふたりで牧場をやればよかったのか、ふたりでメキシコに逃げればよかったのか、どーすればよかったというのか。
うーん、悲恋だ。胸が痛いっす。
求め続けあきらめられない愛しい思いと、捨て去ることができない現実が衝突し合い、もがき続け、どんどん押しつぶされて、削られていく。恋は素晴らしいけれど、それ以上に苦しいもんす。

イニスの奥さんもなぁ、悩んだろうなぁ。それでもなんとか家庭を守ろうとがんばります。彼女も痛々しいです。離婚した後も、心配してますね。
チュー目撃のシーンは余計だと思いましたが(爆)。

ということで、愛は素晴らしい。けれど、恋するカウボーイがジェイクだというだけでなんだか笑ってしまうのはどーしてなのか(笑)。ジェイク、大好きですが、あの顔でカウボーイになられると、コメディではないかと構えてしまうさるおです。

心ゆくまでさるお、もんち!
posted by さるお at 14:38| Comment(10) | TrackBack(0) | 映画の感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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