2008年11月08日

映画『SAW V』推理3 遺言と遺品と進化と淘汰

さるおです。
日本語の予告編を観ると、「ジグソウの遺言と遺品」とかいう字幕が出てきます。で、今のところ、ジョンが死後に遺した遺言といえば、ジェフ宛てのテープと"刑事さん"宛てのテープのみ。べつにこれだけでもいいんですが、『SAW IV』に出てきたことだからな、ぜんぜん新しくないわけですね。
ということは、もっと他にあるはず、日本語版の予告編はじつはあまりあてにしてない(笑)ですが、それにしても何かあるはず。得意のテープかビデオ(遺言)、そして何か、物品(遺品)が。
ジョンは、自分が死んでもまだ終わっとらん、始まったとこだ、シゴトは続くぞと、そう言ってるんでした。それが、基本的にはすでに敗者決定しているジェフ宛ての"娘探し"だけだとすると、ちとしょぼい。始まったばかりにしてはすぐ終わりそう、撃たれちゃったし。さらにホフマンが聞いたあのテープは、"続くぞ宣言"そのものっすから、これによっては何も始まらない。だからやっぱり、準備しておいた"別のこと"があるわけです。もちろんホフマンはその一部にはなるはず、(今のところ自称かもしれんけど)後継者だし。でも中心は他へ移ったはずなんです、ホフマンは"試される側の人物"だとジョンは言ったわけだから、ホフマンがどれだけ後継者として立ち振るまおうが、もっと大きな視野で見て、試す側の中心人物が他にいる。
それはつまり、遺言と遺品の、宛て先となる人物だろうと思うわけですね。

さて、ジョンは誰に遺言を遺すでしょーか。
とりあえず、ジェフとホフマン以外にです。
気持ちとしてはね、ほんとはアマンダだったろうと思います。ジョンは理解し合える(と思っていた)唯一の人、自分にすべてを捧げ、たよりにしてくれる彼女を大事にしてた。でも死んじゃいました。それに、死んじゃうかもしれない、ということは予測していた。
するとまぁ本来なら、家族です。でもこれはもうおそらくいないわけで、元妻ジルのみ。
ジルはジョンを捨てました。ジョンに傾倒しまくり(笑)のさるおには少なくともそう見えた。すると、自分を見捨てたジルに対する報復、もちろんジョンはこれを救済と呼ぶはずですが、つまり、"人々を救える"と信じるジルをプレイヤーとして巻き込むために遺言(たとえばゲーム開始を告げる)を遺す。お互いに"むこうが自分を捨てた"と言ってるわけで、本気のケンカ別れならこれはあり得ます。
でもここで思い出すわけです。『SAW III』のオペ中に思考回路がおかしなことになったジョンはジルとのデートを回想し、リンに向かって"I love you."と言ったんでした。ジルは今でも、遺言と遺品を託すべき、愛する者、そうかもしれない。だとしたら、真の後継者がジルだというのはとても納得できる。
ジルは今では多くのモノを所有しています。40世帯が入居するはずだったビルも、串刺し夫婦がいた小学校も、弁護士アートとの共同所有です。Homeward Bound Clinicはジルの経営だし。The Urban Renewal Groupは"街"を再開発していた企業っすから、"街"規模の不動産がある。考えてみれば、ジョンが築いた多くの財産を、彼女は手に入れているわけです。そしてアートはもういない。さらにジュリー・ベンツ(Julie Benz)演じるブリットという不動産開発業者が物語に絡んでくるわけです。ジルはすでに、深入りしすぎている。ジョンと自分はもう関係ない、とか言ったところで、そりゃないぜ。
ジョンとジル、同じ喪失を抱える者同士。もし『SAW V』がジルについて語る作品なら、これがテーマのひとつだろうと思います。
愛する者を失う。
その空虚、あるいは苦しさ、怒り、絶望。そこからいったいどのようにして前に進めばいいのか。底知れない闇の迷路を、どれほどの勇気で進めばいいのか、あるいはいつか、迷路を抜ける日は来るのか。そーいったことが大きなテーマのひとつかと。
そしてこれは唐突に準主役として登場したホフマンについても言えることです。突然準主役に躍り出て人物像は薄っぺらなまま、というのはオカシイ。なぜジョン側にいるのか、いったい何を失ったのか、それは明かされねばね。

思えば、このシリーズは、愛する者の喪失で満ちています。
ジョンはギデオンを失い、タップはシンを失い、ジェフはディランを、失った。アマンダなんか人生そのものを失っていました。
そしてまだ失っていない、瀬戸際にいる人物に、ジョンはこう語りかける。それを失ってはならない、取り戻せ。生命の価値を知れ、と。
最愛の人を失いかけているとき、人は試されるわけです。エリックはダニエルを、ローレンスはダイアナとアリソンを、それぞれ救うために自分の血を流す。ジョンは人を極限状態に追い込んで、試すわけです。
このシリーズに登場する人々は、3種類に分けられると思います。愛する者を失い闇の迷路で迷う者、失いかけている者、そして淘汰される者。そう、ジョンは考えてたんだよなぁ、ダーウィンの進化論はもうこの地上に適用しないと。人は、生きるという強い意志を失ってしまった、だとすれば、もう進化論などというものは過去に置いてきてしまったのか。
ジョンが試しているのは、それなのかもしれません。
愛する者を失い闇の迷路で迷う者、おまえはその迷路を抜けられるか。復讐や執着や哀しみをそこに置いて、自分自身の人生を再び歩き出すことができるか。それがテスト。あるいは、生きるために血を流して、痛みを知り、それでも生きろ。愛する者を失う前に、失いそうになる前に、血を流して生命の価値を知り、愛する者を救い守り取り戻せと。それがゲーム。
生きたかったら血を流す。そもそも、生きるということはあらゆる苦痛を内包しているものです。その痛みを受け入れないならば、その者は淘汰されていくわけですね。勝つ条件が存在しなかった人々、彼らは淘汰されていく。
被験者を追い詰めて進化論の適用性を試す。生き抜く者を、選抜する。生まれ変われる者を探す。それがジョンの"シゴト"なんじゃないかな。

ジョンのシゴトの後継者、ということは進化論の適用性を試して、生きるという強靱な意志を持った新人類を選別する人です。
そんなー!不可能なんじゃねーか、ジョンと同等のクオリティでその"シゴト"を誰かがやるなんて。
で、思い出したことがあります。
Are you there detective? If you are listening to this, then you must be the last man standing. You feel you now have control, don't you? You think you will walk away untested. I promise that my work will continue. That I have ensured. By hearing this tape some will assume that this is over but I am still among you. You think it's over just because I am dead. It's not over, the games have just begun.
ホフマンが聞いたテープですね。
I am still among you. (死んでも)私はきみたちの中にいる。
"中"というのは、"間"です、"紛れ込んでいる"という意味です。
これはね、結局んとこ、自然淘汰は起き続ける、という意味ではないかと、そんな感じもしてきます。
生きるということは、苦痛に他ならない。あらゆる哀しみを、あらゆる痛みを抱えて、歩き続ける。それが生きるということ。それぞれ違う事情を抱えて、向かい風の中を進み続ける。その苦行こそが人生です。それが嫌なら淘汰されていく。楽チンなことばかりで生きて行ける、なんてことはあり得ないんです。ジョンがいてもいなくても、それは変わらない。
ジョンは(ジルも?)仏教徒かもしれないしなぁ。

ということで、ジョンはおそらくジルに、最後にもうひとつとても重要な何かを遺しただろうと思いますね。

ところで、さきほどのテープなんですが、腑に落ちなかったことがらが、『SAW VI』を観た今ならわかる気がしますよ。
Are you there detective?
なぜこのテープは"ホフマン宛て"ではなく"刑事さん宛て"なのか?
You must be the last man standing.
ホフマンが"最後の1人"とはどーゆー意味なのか?
次はこのへんのことを考えてみようと思います。

心ゆくまでさるお、もんち!
posted by さるお at 01:26| Comment(2) | TrackBack(0) | さるお発『SAW V』予想/解読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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