セレブからたくさんのエントリーっす。ブログはこちら。
シモーヌの投稿『SIX POUNDS OF FLESH』
生きる者はみな呪われたサバイバー。
このブログに記事を書くようボビーに頼まれたけど、はじめは無理だって返事しました。けど、ただ正直に書けばいいって言われて、書くことにしました。
私は自分の左腕を包丁で切り落とし、ビジネスパートナーでもある7年来の友人が頭を潰されて死ぬのを目の当たりにした。私は切り落とした自分の腕をプラスチックのシューターに入れた。それは秤の上に落ち、その後の長い長い3秒間に、私は自分の人生を思った。そう、私は、信用させてローンを組ませ、その人の人生をぶち壊してお金を巻き上げることに自分の人生を費やしてきた。人の家庭を崩壊させて、自分は稼いできたのです。
もう嫌。多くの人を傷つけてきたことを後悔しています。エディが死んだことを悔やんでいます。私の脳に焼きついたおそろしいトラウマで、毎朝、片腕で目覚めることになってしまった。
私はサバイバー。彼は私を殺さなかった。鏡を見て思うのです、まだやっていけると。6ポンド(2.7kg)は戻らないけど、もう誰も傷つけずに生きて行こう。
誰にでもチャンスは必要です。肉切り包丁だけを持って、部屋に独りきりになるチャンスが。大バカ野郎でも少しはマシになりますから。
ブレントの投稿『FLIP THE SWITCH』
僕は"死"と書いたレバーを下げた。自分のためじゃない、悪を罰するためだ。あいつのために死を選び、そして僕は新しい人生に踏み出した。
レバーを下げたとき、あいつがどう死ぬかなんて考えもしなかった。あいつは目の前で溶けていった。僕はあいつが苦しむのを見たけど、父親が死ぬのだって見たんだ。だから死を選んだ。
檻の中で目覚め、そこがどこかも、どうやって連れてこられたのかもわからなかった。本当に怖くなったのは、母が一緒だと気づいてからだ。ビデオは、ゲームのルールだった。ジグソウだ。
父が死んで、僕の世界は狭く、暗く、苛立たしくなった。死んだのではなく殺されたんだと思うと、さらにひどい気持ちになった。僕は無力で無意味で弱かった。母は自分を責めていた。僕も僕自身を責めた。父が殺されるとき、僕らはたすけてあげられなかったから。
父が殺されたことは明らかだ。そーゆーシステムなんだとか、過ちがあったと思えとか、世の中そんなもんだとか、ごちゃごちゃ言う人もいた。ウィリアム・イーストンはシステムじゃない。あいつはミスなどおかしてない。わざと作ったんだ、健康な人には害のない、父を殺すシステムを。
だからレバーを下げた。
これこそ世の中のシステムだ。悪いことをしたら、誰かを傷つけたら、何者かが必ずそいつを追い詰めてやっつける。
僕はイーストンのためにレバーを下げた。そして新しい人生を歩き出した。もう僕は無意味じゃない。
僕は生き残った。
ゴードンせんせの投稿『CUT THROUGH THE B.S.』
ボビーは独力で、真実を私たちに示しています。彼の試練は私たちの試練であり、彼の対処技能は、私たちも使い方を学ぶことができる尖ったツールのようになりました。
私自身の経験は、私を不具にし、精神を破壊しました。苦痛と変容を生む建築家 -ジグソウ- と、私は12時間も同じ部屋に横たわり、窒息するほど近くにいたわけです。しかし私たちには話す機会はなかった。唯一の対話は、私の行動と血を通してのみ行われたのです。
医師として私は、深刻な病状でも感情をまじえず、味気ない説明を患者に対してしてきました。誰だって死ぬなんて言われたくない。しかしコミュニケーションは私の仕事ではないのです。私の仕事は時間切れの患者を、切って、取り除いて、縫うこと。治らないとわかっているのに。
死ぬと言われるのがどんなものか、私にもはっきりとわかりました。どう死ぬかを告げられ、不可能な選択を与えられるということが、どーゆーことか。のこぎりを渡されて、足を切れ落とせと言われるのがどんなものか。
私はやり遂げた。生きるために。
ボビーの試練もまた生々しい。彼と一緒に、あのバスルームにいるような気さえします。私の経験を話すよりも、本物のジグソウ体験ができそうです。
シドニーの投稿『PULL THE SURVIVOR TRIGGER』
ボニー&クライド的犯罪者カップルの彼女さんが、はしごから相手を落とすゲームを通じて彼氏依存から抜け出すまでのいろいろが書いてありますが、うーん、今はシドニーさんを存じ上げないので割愛します。
タラの投稿『MY SON, MY SON』
私は息子を守らなければならない。自分自身も守らなければ。ジグソウは私たちを檻に閉じこめ、私の夫ハロルド・アボットの命を奪った男に対して生か死か選ぶように強要しました。破壊か赦しを選ぶ、そんな状況が訪れるとは夢にも思っていませんでした。あのときのことはよく覚えています。私はレバーを握った。あの男はたすけてくれと懇願しました。私は彼に死んでほしかった。ハロルドを思いました。病気になってからのこと、元気で幸せだったころのこと、22年も昔の出会ったころのこと。そしてまた目の前のあの男を見ました。復讐のために殺すことはできない。だれでも救うのに。私はあの男の死の責任を取りませんでした。私はこの男を殺さない。けれど私は、息子を止めることができませんでした。息子が見た、シリンジがあの男の身体に刺さり酸で身体が溶けていくあの光景を、息子は見なかったことにはできないのです。
錆びた檻から出て生活に戻って以来、私は息子を弁護し続けています。あの子は、殺人者ではない。あの子は父親を失った子だというだけ。安全な家庭から連れ去られ、狂人により迷路に入れられてしまったというだけなのです。教訓など存在しません。悟りなどはないのです。あるのは血と、嘆きだけ。
生存者を慰め、教え導くボビーの努力に感謝しています。彼自身も、大きなトラウマを乗り越え、プラスの力に変えてきたのです。けれど私は、罪のない人々を殺人者にする狂人には、感謝する気はありません。
心ゆくまでさるお、もんち!