『IN THE VALLEY OF ELAH/告発のとき』を観たよ。
監督は『CRASHクラッシュ』のポール・ハギス(Paul Haggis)、『MILLION DOLLAR BABYミリオンダラー・ベイビー』の脚本とか、『LETTERS FROM IWO JIMA/硫黄島からの手紙』『FLAGS OF OUR FATHERS/父親たちの星条旗』なんかもやって、けっこう好きな監督さん。
出演は、トミー・リー・ジョーンズ(Tommy Lee Jones)、シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)。
ポール・ハギスがこの映画を撮ろうと思いついたのは、イラク戦争を誰もが正しいと思っていた時期のこと。そーかー、映画監督はこうでなくちゃ。
戦争は、というか"大義"などというもののために前線に送り出される兵士は、癒えない傷を負って帰ってくる。かわいそうっす。
人殺しのために祖国を離れ、遠い遠い知らない土地に行くなんてかわいそう。英雄になれるほど鈍感ならまだまし。その後の人生のことを考えれば、英雄になってもなれなくても、そこで死ねればそれもまだましかもしれない。せめて、自分の生活する場所に戻ったら、償う方法があればいいのに、正気を取り戻す方法があればいいのに。
戦争は、殺されるほうも殺すほうもかわいそう。本当の極限状態というのは怖いっす。
実際の事件には美人オマワリは出てきません。リチャード(映画ではマイク)のパパさんが、うちの子は脱走なんかせんよ、と言って事件を追う。そしてイラク戦争のいちばん暗い迷路に踏み込んでしまいます。4ヶ月後、基地内ではリチャードが埋まってるという噂が立ち、掘ってみたら黒焦げで出てきた。33個所におよぶ深い刺し傷だらけで。
刺したのは仲間です。イラクで体験した、レイプやら拷問やらの"ヒミツ"をしゃべらせないために仲間が殺した。パパさんはそう思った。でも実際は違いました。リチャードもまた、その"狂気"というヒミツの渦中の人だった。
アメリカに帰って来てもまだ、みんな、自分がいつ人殺しをしてしまうかわからない、そんな張りつめた緊張の中にいた。リチャードも含めて、みんなが、ナイフを持っていたら目の前にいる誰かを刺してしまうかもしれない、そう感じ続けていた。マルチネス(映画ではロバート・オーティス)というその青年は、リチャードを刺してしまいました。馬乗りになって、リチャードが死んでも、めった刺しにしまくった。
えーん。みんなかわいそう。
殺らなければ殺られてた。もうここイラクじゃないのに。もう敵はいないのに。今はアメリカにいて、みんな仲間なのに。
人間って、戦争大好きっす。有史以来、絶え間なくしっかり続けて来ました。そんくらいに好き。戦争しないとおさまらない。
やめられたらやめた方がいいんです、もちろん。
やめられないというなら、殺し合うのが人間だというなら、人殺しというのは、殺した方も傷を負わないといかんと思っています。殴り殺したら、手が覚えている。刺し殺したら、手が覚えている。自分も忘れることのできない傷を負って、一生十字架を背負っていくんです。そしていつか誰かに語って聞かせることもできる。けれどそこまでなら"ケンカ"なわけで、だんだんと、弓矢になって、鉄砲になって、恐怖は手に残らなくなりました。人殺しじゃなくて、戦争だもん。今なら、職場に行ってボタンを押せばそれで済む。なんだかまずいっすよね、方法論が。現場を知らないエライ人がなんでも決める、それが戦争。
いや、でもなぁ、うーん・・・複雑っすねぇ。
アメリカ、目を背けるなよ。さるおもしっかり観ましたよ。
邦題ね、『告発のとき』っちゅーのはひでぇ、と思いました。小さなダビデがペリシテのの巨人ゴリアテを倒したエラの谷、『IN THE VALLEY OF ELAH』という素晴らしい原題がついてるのに。もったいねぇ。
心ゆくまでさるお、もんち!