『MANDERLAY/マンダレイ』を劇場で観たよ。観るにあたっての意気込み(笑)はこちらです。
監督はラース・フォン・トリアー(Lars von Trier)。
出演は『THE VILLAGE/ヴィレッジ』のブライス・ダラス・ハワード(Bryce Dallas Howard)、お喋り黒人にダニー・グローヴァー(Danny Glover)、誇り高き黒人にイザーク・ド・バンコレ(saach De Bankole)、グレースパパはウィレム・デフォー(Willem Dafoe)、女主人は『ドッグヴィル』に続きローレン・バコール(Lauren Bacall)、『ドッグヴィル』『THE BROWN BUNNY/ブラウン・バニー』のクロエ・セヴィニー(Chloe Sevigny)。
ラース君ね、80年代以降、ひとり3部作マニアでござる。
『THE ELEMENT OF CRIME (FORBRYDELSENS ELEMENT)/エレメント・オブ・クライム』『EPIDEMIC/エピデミック』『EUROPA (ZENTROPA)/ヨーロッパ』でヨーロッパ3部作、『BREAKING THE WAVES/奇跡の海』『THE IDIOTS/イディオッツ』『DANCER IN THE DARK/ダンサー・イン・ザ・ダーク』でゴールドハート3部作、『DOGVILLE/ドッグヴィル』『MANDERLAY/マンダレイ』『WASHINGTON/ワシントン』でアメリカ3部作。
で、どうだったのか、こーゆー作品は深々と考察してみます。
『マンダレイ』は一見、観る人によって解釈に幅のある『ドッグヴィル』に比べ、批判対象が明確になったように見えます。独善的を通り越して偽善に満ち満ちたアメリカ批判であり、空想の政策に興じるリベラリスト批判であり、もっと言ってしまえばブッシュ批判でござるね。
たしかにそうではあるけれど、それにしてもこの作品にはくっきと別の2つの顔があるな。なぜなら、『マンダレイ』が扱ったアメリカ的民主主義は、閉ざされた大農園マンダレイ内の奴隷制度に対して適用されると同時に、国外に輸出されているから。
飼われていた鳥は"自由"に適応できない。
グレースにはそれがわからない。かつてカナリアを死なせてもなお、グレースにはわからない。わからないというより、我慢ならんのですわ。「あなたに自由を!」そう叫ばずにいられない、正義と愚かさをひきずって生きている女神なんである。
飼い始めたことが過ちなのであり、カゴの中のカナリアの存在が正すべき過ちなのではない。飼い主に向かって「カナリアが外で生きられる知恵と力を返してやれ」と言うならいいが、カゴの中しか知らないカナリアに向かって「あなたは自由だ、勝手に生きろ」と言ってみても残酷なだけである。カナリアにとって初めて直面する自由ほどおっかないものはねーずら。本当の民主主義は、教育された個人を育成し、その個人に知恵と判断力を要求する社会のことなんでござる。
"議論され尽くした人権問題"などと一笑してはいけないな。ぜんぜん終わってないどころか"人権"だけでなくなって勘違いされてる。
グレースはドッグヴィルで"権力の有効性"を学びました。んで、マンダレイ農園の奴隷制度撤廃に向けてさっそく権力を行使し"悪"を制圧すると、民主主義の布教活動を始める。ところが、民主化までの道のりは困難で、ついにグレースの民主主義は敗北に至ります。
短期的に見て軍事的には勝利したように見えたものの、未だにアメリカ的民主主義を押し付けることができない、イラク情勢に酷似しておる。
いや、イラク情勢だけではねぇよ。これまでに何度も、世界で起こったことですね。
さるお的には、『マンダレイ』は人権問題を題材とした作品というよりも、"アメリカ的民主主義の輸出"を扱った作品に思えます。なぜなら、劇中に"石油"と"他の強国"が登場したから。
グレースは"誇り高き黒人"ティモシーに恋をする。そう、マンダレイ農園を制圧し、弱者を教育し、もっとマシな世界にしようと思っていたら、思いがけず、"欲しいモノ"を見っけてしまった。なにがなんでも手に入れたい。欲望が止められないのでございます。そして最後にはそれを手に入れるが、思っていたほど美しくはなく、グレースは落胆と怒りの報復としてティモシーを鞭打つ。
一方、マンダレイ農園から逃げ出そうとした奴隷がいる。彼は"ある別の女性"にたすけを求めるが、その女性はまるでグレースと同じように武力を引きつれ奴隷の元に現れる。救うどころか、グレースよりもっと残酷にもっと素早く奴隷を追いつめ、逃げるはずの奴隷は、逃げることができなかった。
ティモシーが資源の保有者で、グレースがアメリカなら、"ある別の女性"はどこの国なのか。『マンダレイ』は、まるで世界地図である。
マンダレイ農園の住人には、善人がいない。たしかに奴隷は弱者であり被害者であるけれど、決して善人として描かれることはなく、ヒーローは登場しません。唯一のヒロインであるよそ者グレースは、高潔な人物だけれど、独りよがりの理想に燃えてすべてを台無しにしていく、手に負えないばかちんです。
「ブッシュはこの方法で物事が改善されると彼が本当に考えているからだ。かれはそれを信じ切っている。そしてグレースもね。完全に。」
これはラース君の言葉である。が、さるおはこれについては反対っす。ブッシュは善人ではない。ブッシュは、大量破壊兵器があるからイラクを退治しようとしたんじゃなくて、資源があって大量破壊兵器がないから攻撃したんだと、もちろんさるおは思っている。
最後の部分、「グレースもね。完全に。」これは真実ですね。グレースは善人です。純粋で、自由と民主主義を信じ、理想に燃える、美しく愚かな女神。はじめっからティモシー目当てでマンダレイ農園に来たわけじゃない。
ということは、グレースパパは、たしかにアメリカの象徴で、グレースはアメリカ政府の出先機関なんだけど、グレースがアメリカの象徴などであるはずないぞ。すくなくとも、アメリカ"政府"の象徴にはなり得ない。もしかしたら、盲目的すぎて空恐ろしいばかばかしさは感じるものの、部分的に、アメリカ人の象徴ではあるかもしれないです。出先機関の象徴だけれど曖昧にしたということですかね。
そういえば、さるおね、『ドッグヴィル』のときね、「アンチ・アメリカ・ムービーかもしれないが、そんなことを差っ引いてもこの映画はおもしろい」と思ったんでした。なので今回も、突然ですが、差っ引くことにしてみます(笑)。
なにしろラース君自身が、「『マンダレイ』はデンマークのことでもある」と言っているし、アメリカにこだわらずに考えてみます。
「私たちはここで7時に夕食をとってきた。これからは何時に夕食の席につけばいのか」このきわめて深刻な間抜けな問いは、すなわち"未知の自由にともなう責任"の恐ろしさであるのに、「あなたは自由だ」などと途方もない思い上がりを口にして本人は励ました気になっている。
民主主義かどうかはともかく、人は身勝手な信念に夢中になり、他者にもそれを押し付けようとする。人は、"その人に良かれ"かどうか正しく判断する前に、"良かれ"と思いこんで偏見を貫いてしまう。常に偏見に支配されているくせに、自分は"差別"などというものとは無関係だと思い込み、いつまででも差別と区別を履き違える。
あー、またしても、さるおたちが住む社会です。
『ドッグヴィル』は他人事ではなくってね、理性に鞭打つおっそろしい作品でした。さるお、ラース君に怒られたと思ったよぅ。
で、『マンダレイ』はさるおとはちょっと距離があるな、アメリカの話だしな、と思って気楽に観ていたが、違いましたね。またしてもさるおのことですか。そうですか。心が痛い。他人事じゃないYO!
ということで、アメリカを差っ引いても深みのあった『マンダレイ』、最後にもう1度、世界地図として、そして身近な社会の象徴として眺めなおしながら、希望と絶望を噛みしめてみたいと思います(涙)。
さて、"ママの法律"を書いたのは誰だったか。
ため息出るな。この世界は、すべて茶番劇です。ときに、自分自身の喜怒哀楽すらアホらしくなるほどに、この世界なんて、ただの茶番です。弱者もまた怠惰のシステムを生み出す、それが人の本質。
この茶番が規律を生み、生きる術を共有する唯一の手段となっていると同時に、貧富の差を生み続ける。なんかもう、ため息出んね。
被害者も加害者も、強者も弱者も、支配者も奴隷も、王も家来も、みんな台本どおりに生きてるだけですから。茶番に気づいていないのは、おバカなグレースただひとり。涙出ますね。
この大局的な見方は、あってると思います。涙出ますが。世界地図なんてこんなもんです。
ところがです。これだけバカだバカだと言っておきながら、ここまで考えて初めて、見えてくるものがありますよ!俄然輝いてくるものがありますよ!
身近な社会に戻ってみると、グレースの確固たる正義が、頑ななまでの純粋さが、ここまでくるとやっぱり、救いのような気がしますよね!(←無理ですかね)
とりあえず、グレースの正義と実直さは、自分の心の中にも育てておこうと思いました。
そして、マンダレイ公式時間。止まった時計を動かして定めた公式時間ね。マンダレイの時計で7時、それはグレースパパの時計で7時10分。ここには皮肉のすべてが集約されています。グレースは、グレースが抗い続ける"アメリカ人"になってしまいました。
ミイラ採りがミイラだYO!
涙出ますね、やっぱり。
どーでもいいことですが、こりゃニコールには無理だわ(笑)。やらないやらない。
ブライス素っ裸で足の間にカメラ持ったラース君(笑)。ニコールには無理だ。
心ゆくまでさるお、もんち!
熱意にあふれた感想も、とても面白く読ませていただきました。
確かに、さるおさんがこの映画を見て考えて思い至ったように、この世の仕組を「整理して理解する」ためのガイダンスとして、この映画はとても意味がありますよね。
そしてこういう単純な図式化に、監督の達観した視野を見いだすか、「机上の空論」的中途半端さを見るかは、たぶん見る側の経験の多寡によって違ってくるのだと思います。評価が分かれるのも、おそらくそのあたりなのでしょう。
熱のこもった感想拝見させていただき、
同感する部分も多くそうそう…と頷きました。
純粋で一生懸命なグレースだけど、その一生懸命さ
が空回りし怒りに燃える姿見て、痛々しく思えたり、
同時に自分に似た部分があって一生懸命やってバカ
見る姿が情けなくて。。
「ドッグヴィル」でボスの娘として本領発揮させる
ラストが、今作では計算違いで路頭に迷う結果が
不憫ながら笑えてしまった。
それにしても、ヒロイン交代で見た目が若返ったと
同時に、性格的にも幼くなったような気がします。
続編があるのをわかってるから、映画のシメとして
あのエンディングは個人的に好きです。
最終章でいかにグレースが恐るべき本性を露にする
のかが楽しみです。
僕のような浅い観方ではなく、思い至るところが多々あったので、自らの不明を恥じる次第です。
ただ、この作品、というか、アメリカ三部作の二作、興行的には『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に及んでいません。
その部分が、僕にとっては、作品の弱さのように思えるのですよね。
何はともあれ、三作品目も期待大です。無事に作成されれば、ですが(笑)
マンダレイの怖ろしい罠は「グレースの正義と実直さ」を前提にしないと理解できません。グレースを高みから見て「愚か」だと笑う者は、マンダレイ農場から一生出られない奴隷も同然DEATHw。
「ドッグヴィル」と「マンダレイ」、両方ともグレース自ら引き金を引くわけですが、どっちが怖いって「マンダレイ」のほうが怖いッしょ!
つくづくオソロシイ男ですよ、ラース・フォン・トリアー。
あ、そうそうトラバありがとうございます。
> この世の仕組を「整理して理解する」ためのガイダンス
そうですね。しかも、他人事ではない。
> 監督の達観した視野を見いだすか、「机上の空論」的中途半端さを見るかは、たぶん見る側の経験の多寡によって違ってくるのだと思います。
上述のガイダンスとして観るならば、達観でも空論でもないように感じています。評価が分かれるのは、自分のことだと気づくか、お言葉を借りると"彼岸の火事"だと鈍感になるか、意識の問題なのではないかと思いました。本当は、鈍感になってはいけないという観客依存のためですが、まさしくcontessaさんがおっしゃるように、寓話にしてしまった"切り口の甘さ"がありますね。誰でも心をえぐられるような作品に仕上がっていたら、もっと素晴らしかった。1作目は主題そのものがあまりに個人的だったので成功しましたが、今作はガイダンスとしての要素に観客が目を奪われてしまっていると思います。
『ワシントン』が楽しみだね!
> その一生懸命さが空回りし怒りに燃える姿見て、痛々しく思えたり、
> 計算違いで路頭に迷う結果が不憫ながら笑えてしまった。
痛々しく情けないのも自分だし、グレースをバカだと思ったり不憫だと思うバカさ加減も自分自身の投影ですね。
あいかわらずラースは、己を知れと、自分を蔑めと、容赦なく迫ってきてます。
> ヒロイン交代で見た目が若返ったと同時に、性格的にも幼くなったような気がします。
もともとはニコール・キッドマンで撮ろうと思ったとは言うものの、今回のグレースは"乙女"である必要があったと思うので、結果的にはまぁまぁのキャスティングだったんじゃないかな?
> あのエンディングは個人的に好きです。
さるおもあのパターンは好きです。ブッシュのいとこが作った映画『アトミック・カフェ』みたいです。
http://kooks.seesaa.net/article/1817631.html
> 興行的には『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に及んでいません。その部分が、僕にとっては、作品の弱さのように思えるのですよね。
そうですね、ラースなだけでもすでに万人受けはしないしなぁ(笑)。
さるおね、作品の弱さというより、観客が感じる客観性の問題だと思うんです。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でも『ドッグヴィル』でも、観客は、ラースに、個人的に呼び出されて怒られた、と思うんです。心がえぐられて苦しかったと思うんです。
ところが今回は、"アメリカの話"なので他人事になっちゃった。本当は違うんだけど、気づきにくい。つまり、難易度の高い作品になっちゃったんだと思うんですが、どーでしょーか?
> 無事に作成されれば、ですが(笑)
ほんとに(笑)。
完成すると信じて、『ワシントン』を楽しみにしてます。
グレースを高みから見て愚かだと笑っていると、この作品はつまらないですよね。
> どっちが怖いって「マンダレイ」のほうが怖いッしょ!
おっしゃるとおりです。今回は取り返しがつきませんから。
ラース・フォン・トリアーの「意図」を的確に分析した見事なレビューに思わず唸らされてしまいました。興味深く拝見させて頂きました。自分も「マンダレイ」の方が「ドッグヴィル」の何倍も恐ろしい作品だと思います。「ワシントン」では更に冷徹で、容赦の無い悪意に満ちた作品を提示して来る事でしょう。いろいろな意味でとんでもない映画を見せられそうで今から震えが止まりません(笑)怖いけど楽しみ〜。
長々と失礼しました。また遊びに寄らせて貰います。でわでわ♪
いやぁ、『マンダレイ』をとても深く考察されていて、感心しちゃいましたよぉー。
ラース監督の映画は、こう人間の見たくない部分を見せてくれますよね。上のコメにありましたけど、『ドッグヴィル』のときより確かに客観的展開から始まるけど、結局は同じようなものを見せてもらった気がしました。
私はグレースややっぱりニコールにやってほしかったなぁ。ニコールファンだからではなく、1作目のグレースがどう変わっていくのかという過程はこういう系統の3部作なら見所の一つだと思うんですよね。(まあ、この内容じゃやりたくないんでしょうけど・・・)
ブライスが『前回とは全く別のキャラクターとさえ思って演じた』っぽいコメントをどっかで見て、えーー!!そういう3部作じゃないじゃん!った記憶がありますわ。
とかいってもいまから『ワシントン』まじで楽しみです♪
『マンダレイ』はより規模の大きい恐ろしさを感じて、『ドッグヴィル』は恐ろしさが深かったなぁと思います。
> 「ワシントン」では更に冷徹で、容赦の無い悪意に満ちた作品を提示して来る事でしょう。
悪意に満ちた社会全体が、ラースによって糾弾される、そういう映画になってほしいです。映画のほうに悪意があるのはなんかちょっと、ラースっぽくない気がします。
楽しみですねー!
> ラース監督の映画は、こう人間の見たくない部分を見せてくれますよね。
まさにそうですね。"たかが映画だ"と笑っていられなくなる、そういう厳しさが素晴らしいです。
> 『ドッグヴィル』のときより確かに客観的展開から始まるけど、結局は同じようなものを見せてもらった
さるおもそう思いました。今度は他人事だと思ったけれど、そうじゃなかったです。
> グレースややっぱりニコールにやってほしかったなぁ。
これもわかります。ニコールのために書いた脚本、やっぱりそうなんですよね。結果的にブライスでよかったんじゃないかという思いもありますが、ニコール版グレースのインパクトは忘れられません。ブライスとしては、ニコールのマネはできない、だからブライス版グレースでいいんだと、そう思ったのかもしれません。