『MONSTER/モンスター』を観たよ。
監督・脚本はパティ・ジェンインズ(Patty Jenkins)、新人である。そらおそろしい。
出演は、連続殺人犯アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos)に本作でオスカー女優となったシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)、いつ見てもぽっちゃりさんのクリスティーナ・リッチ(Christina Ricci)が恋人のセルビー・ウォールを演じている。
(この実在した悲劇のキャラクターは1991年に『THELMA & LOUISE/テルマ&ルイーズ』のモデルになっているが、"物語"としては大きく変調させ、解放へと疾走する女だけのロードムービーになっている。)
純愛の物語だ。
過酷すぎる純愛ではあるが、無垢で無防備な本物の愛の物語である。
実話に基づいた、女性連続殺人犯アイリーンの足跡。それはもうどんな言葉もあてはまらないほどに、過酷で、残酷で、見ていると胸が痛くてやりきれない。
8歳で叔父にレイプされ、父ちゃんに言いつけたが信じてもらえず逆に怒られた。その後もレイプされつづけ、13歳ですでに売春婦として客をとり始める。長いキャリアだ。まさにプロ中のプロ、筋金入りである。思春期には同性愛に悩み、それがトラブルの元で友達はみんな去って行った。それ以来ずっとストリートに立ち続けている。他の生き方は知らない。
とうぜんお客様の"人間の質"のバリエーションは幅広く、ろくでもない暴力野郎につきまとわれては半殺しの目に合ったりして、そんじゃなくても苦労人なのに、苦労が苦労を呼び込む悪循環は絶えるきっかけすら持たないのである。
リー(アイリーン)の苦労を知り蔑むことなく心配してくれる唯一の友達トムじいさんにさえも強がってみせる、あまえ方も知らないリー。
不器用に、そして必死で生きるリーの姿を見ているといたたまれなくなってくる。あぁ、こんな人生はあってはならないぞ。
リーを突き動かした原動力は何か。夢も希望もひと一倍もっている彼女だが、蔑まれ続けたそれまでの人生が作り上げた、もっともっと根の深い、絶望的な憎しみが、すべてを支配していたのではなかろうか。
そんなリーがセルビーと出会い恋に落ちる。通りすがりのはずが、命がけの恋になる。
セルビーのためなら、セルビーが望むなら、セルビーがよろこぶなら、セルビーが嫌と言うなら、セルビーがそばにいてくれるなら、・・・どんなことでもする。売春はやめようと思ったけれど、他に生きる術を持たない。だからセルビーのためにお客をとりつづける。男を殺し続ける。40ドルのためだ。セルビーのためだ。
与え続けすべてを捧げてセルビーが幸せになること以外眼中にないリーと、奪い続けるセルビーは対照的である。リーにとっては愛、セルビーにとっては依存である。
そして、それまでリーが"悪"と信じる男ばかりを殺してきたのに、疲れ果て追いつめられた彼女は、ついに"善良な"男を撃ち殺してしまう。それがリーの限界だった。恐ろしいほどの焦燥感が伝染してきて、観ているこっちも限界だぞ。
すべてをセルビーに捧げた。でも別れの時はやってくる。
「私は罪を犯してしまった。どうしても自分が許せない。だからあなたに許してほしい。もし誰かが救いの手を差し伸べてくれるなら、もしあなたが救いの手を差し伸べてくれるなら、私をたすけて。いつか、私の元に戻ってきて」
そう言って泣くリーに、セルビーは"戻る"と約束するが、セルビーは捜査協力、その後逮捕されたリーの裁判で、セルビーは証言台に立ってしまうのである。わかった、わかった、というように何度も小さく頷くリーの顔が焼きついて離れない。
Motherfucker! クソ野郎!
死刑宣告されたリーの言葉である。
売春以外に生きる術を持たない。そこがなんとも苦しい。
彼女の人生は愚かで弱いんだけど、作り物ではないこの悲劇を、愚かだ、弱いんだ、と言ってしまうにはあまりにも不幸の量がおびただしい。
モンスター
人々はアイリーンをそう呼んだが、"モンスター"は、アイリーンではないと思う。彼女は、愛を表現する術も、愛を守る術も、愛を育てる術も持たなかったが、怒りと劣等感と純愛に生きた孤高の人である。
"モンスター"は、アイリーンが憧れた観覧車の呼び名であり、アイリーンの唯一の希望であったセルビーである。
そして、アイリーンを怪物に変えた、この純愛の"外側にある罪"のことにほかならないのではないか。誰かを虐げなければ生きて行けないセルビーの父の友人夫婦であり、アイリーンを利用するセルビーを含む人々であり、アイリーンを蔑み虐待し続けるこの世界がモンスターなのである。
ところで、連続殺人犯というのは9割方が男子である。「幼い頃に性的虐待を・・・」という話は男女ともに聞いていると思うが、男子は殺人者となり、女子はならない。なぜか?
男子は体を使うようにできている。女子は頭を使うようにできている。現代社会では男女の役割は生物学的なものを除いて、ごった煮になってきているし、差別がどうこうと見当違いの指摘をする頭がうまく使えていない人たちもいるが、根本的な性差はあってあたりまえ。体を使うようにできている男子が、自分自多が抱えるゆがみのバランスをとるために殺人者になるのはなんとなくあり得るのかな、と思う。
ならば、女子はならないはずなのに、どうしてアイリーンは男子みたいに殺人者になっちゃったのか?
アイリーンは非常に男性的だ。自分が稼いでセルビーを幸せにしてあげようとする。しぐさも男性的だ。実際のアイリーンは反社会性人格障害(APD)であったとされているが、"性同一性障害"とは言わないまでも、それに似た男性的な側面があったのかもしれない。ただ、売春以外に生きる術を持たないために、男性的に物事を考え男性的にふるまいたいのに、女性であることを利用して生きているのではないか。そう考えるとこの現実に起きた悲劇の足跡が、多少は矛盾なく理解しやすいものになる。
そして決定的な違いは、男子の連続殺人犯が"殺したくて殺している"のに対して、アイリーンは"仕方なく殺している"点だろう。売春婦を人とも思わない罪への断罪行為である。アイリーンの言葉どおり、神様に対して恥じるところはないのである。
シャーリーズ・セロンよ、あんたはすごい。これでオスカー取れなかったら永遠に誰もオスカーは取れまいて。
大変な過去を背負った極上の美しい女優の、ものすごい思い入れ、しかと受け取ったぞ!
それにしてもものすごい賊画を観てしまった。さるおはずいぶん長いこと、『MYSTIC RIVER/ミスティック・リバー』と『EYES WIDE SHUT/アイズ・ワイド・シャット』ぐらいしか真の傑作はないと思っていたが、この映画を並べないわけにはいかないぞ。いや、なんとなく、同着1位で『ミスティック・リバー』と『モンスター』、同着2位で『アイズ・ワイド・シャット』と『SAW』という雰囲気になってきたぞ。
この作品には、『ミスティック・リバー』もかすむほどの絶望と、つかの間の希望だけしかない。さるおは『ミスティック・リバー』の感想文で、この映画は"臭い物に蓋"だと表現した。なぜ『ミスティック・リバー』がかすむのかと言えば、『モンスター』にはその"蓋"すらないからである。
実話が背景に存在しても、映画はとにかく"映画"として観るべきであるが、こういう作品は切り離して考えるのが難しいなぁとつくづく思った。
『ミスティック・リバー』も『モンスター』も、泣けない賊画だ。絶望が深すぎて、泣くに泣けない、きつい賊画だ。
なんだかんだと言っているうちにふと気づけば、さるおは救いのない映画が好きなのであった(笑)。だれかたすけてください。
ところで、観賞直後、困ったもん観ちゃったぞと思ってまだ頭を抱えている時に、TVに賊っていたのはラムズフェルド国防長官であった。「ザルカウィ氏をかくまわないでください」なんて言ってる場合じゃないぜ。おまえを観ているさるおが何を思ったかおしえてあげよう。
ラムちゃんには申し訳ないが、あんたはいかにもリーに殺されそうなタイプに見える。
心ゆくまでさるお、もんち!
トラックバックありがとうございました。
さるおさんのこの記事をとても興味深く読みました。
この映画を観てから、何度かこの映画について考えていて、
確かに、モンスターってセルビーの方だなあって
思います。
かといってアイリーンが悪くなかったわけではないし、
どちらが悪いとか悪くないとか言えないけれど。。
う〜ん。。難しい。。
☆なな☆様が上記でかかれているように、
私も、この記事を興味深く読ませていただきました。
私たちが普段忘れがちな、考えなければならない
問題を投げかけてくれる大切な映画だと思います。
アイリーンもモンスターであるのだろうとは思います。でもこの映画で描きたかったことは、さるおさんのおっしゃるとおり周りの人間たちや米国社会こそモンスターである、もしくはそれこそがモンスターを生み出したのだと言いたいのだろうと思います。かなり救いが無くて辛い映画でしたね。最後まで虚勢を張るアイリーンが悲しかったです。
> この映画を観てから、何度かこの映画について考えていて、
この映画、引きずりますよね。さるおもなかなか気持ちが切り替わりません。
セルビーも、アイリーンも、さるおも、みんなモンスターで困ります。怪物じゃないのはトムじいさん、ただひとりです。
悪いとか悪くないとか、そういうの通り越してますよね。とにかく悲痛で、まいりました。
> 私たちが普段忘れがちな、考えなければならない問題を投げかけてくれる
本当におっしゃるとおりです。アイリーンのような悲惨な人生は、他にもたくさんあるはずです。わかってるけど、さるおにはできることがないので、せめて頭を使って理解することで、モンスター(加害者)にならないようにしようと思いました。
> さるおさんのおっしゃるとおり周りの人間たちや米国社会こそモンスターである、もしくはそれこそがモンスターを生み出したのだと言いたいのだろうと思います。
さるおが書いたのは"この世界"です。(例えば『ミスティック・リバー』のように)米国社会を描いた作品ではないと思います。
ほんとに辛い映画でしたよー。観ているこっちが摩耗しました。
> 最後まで虚勢を張るアイリーンが悲しかったです。
うん。不器用すぎて、必死で、飢えてて、強がりすぎなアイリーン。思い出すだけでも胸が潰れる思いです。
私は後半15分〜20分、泣き通しで声上げそうなのを必死で堪えてました。
切なくて悲しくて・・可哀想でした。こうした周りの社会がある意味、モンスターだったのでは?!と思いました。。。
女3人で観に行き、真ん中に座った私ひとり大泣きして呆れられてしまった映画です。
別にアイリーンは特殊なのではなくて、他の人も環境によってどうにもならないことに陥ることが常に可能性としてあると思えば、かなり身につまされる話です。でも、殺人はやはり殺人。
司法の裁きは当然としても、本当に死刑にすることが罪のつぐないになったのかはわからない気がしました。
女3人で観に行き、真ん中に座った私ひとり大泣きして呆れられてしまった映画です。
別にアイリーンは特殊なのではなくて、他の人も環境によってどうにもならないことに陥ることが常に可能性としてあると思えば、かなり身につまされる話です。でも、殺人はやはり殺人。
司法の裁きは当然としても、本当に死刑にすることが罪のつぐないになったのかはわからない気がしました。
> 私は後半15分〜20分、泣き通しで声上げそうなのを必死で堪えてました。
とってもよくわかります。心の優しい方ですね。
さるおも優しいんだけど(笑)、1つ気づいたことがありました。希望と絶望、両方があって初めて感動するんだなぁと思いました。"感じ"が希望と絶望のはざまを揺れ"動"いて、希望の眩しさと、絶望の深さを知って、涙が出るんですね。そういう意味で、この『モンスター』と『ミスティック・リバー』は、絶望しかないので泣けなかったんです。どちらか一方にすっかり飲み込まれてしまって、心が動くスペースすら無かった。そんな感じです。
そして、観終わって少し経ってから、自分では落ちついたつもりで感想文を書き始めたら、泣ける泣ける。まるで涙が止まりません。
> 切なくて悲しくて・・可哀想でした。
"かわいそう"っていう言葉はさるおには難しいので、いつもは使わないようにしてるんだけどね、この映画を観た後は、他の言葉が思いつかなかったです。
これじゃかわいそうだよ、こんな人生かわいそうだよ!
ただただそう思いました。あ〜、胸が潰れる思いってこのことですね。今でもズキズキします。
たしかにアイリーンは"特殊"というのとは違いますね。だから、基本的には共感しようのない悲惨さだけれども、伝わってくる"心"の部分があって、泣けるんだろうと思います。
死刑というものと、罪の償いという行為は、無関係だと思います。償いは"行為"でしか成されないものですし、死刑は報復の一側面にしかすぎないのではないかと思います。アイリーンの罪は償える類いのものではなく、終止符そのものに意味があるのだと思いました。
> 彼女が可哀想だと思わない、自業自得だという意見も見かけましたが
さるおもそういう"同情できない"みたいな意見をみかけます。だけど、"自業"だと言って片づかないのが『モンスター』ですよね。
TBありがとうございました。m(__)m!!
「モンスター」は、見逃してしまったので、今度、DVDで、見るつもりです。それにしても、予告で見ただけでも、シャーリーズ・セロンの、「ド・迫力」に、びっくりです。早くみたいです。TB次回、「モンスター」を、見た際に、させていただきます。m(__)m!!
シャーリーズ・セロンにとって運命的な映画なんですね、やっぱり。魂のこもった演技、ほんと脱帽です。感想、楽しみにしてます。
また機会がありましたら寄ってくださいね。
考えさせられる作品でしたね〜。いや、本当は、考えさせられてなんていなくて、正直言うと、ただただ打ちのめされたって感じです。
&TBありがとうございます!
衝撃的な映画でしたね〜
キツイっす。正直、同情なのか
アイリーンのキモチもわかる気がして…
彼女の向こう側にある闇を
見逃しちゃいけないってことなのかな〜。
> 彼女の向こう側にある闇を見逃しちゃいけないってことなのかな〜。
その感じわかるなー。アイリーンは同情の余地だらけ。
どれが闇なのか、何が闇なのか、ちゃんと見ないといけないよね。
DVDで観ました。
私も、モンスターは彼女ではない、と思いました。でも、観覧車のことと結び付けて書きたくとも言葉が出てこなくて・・・
このタイトルに託された思い、なんだったのかなあと。
TBさせていただきました。
> セルビーには「選択肢」があったのだ。
そう、そうなの、そうなんだよ。うーん、カオリさんのレビュー読んでたら泣けてきた。
苦しいなぁ。
言葉がみつからないね。リーをなぐさめる言葉も、世界を呪う言葉も、みつからないや。
土曜日の朝3時くらいから観るような、濃ーい作品ですよね。壮絶に恐ろしく壮絶に悲しく、たまにはこーゆーのを観なくちゃな、と思わせる力強さがありますねぇ。