『OSAMA/アフガン零年』(2003年)を観たよ。
監督はセディク・バルマク(Siddiq Barmak)、使命感に燃えてがんばって作った作品に違いない。
出演はマリナ・ゴルバハーリ(Marina Golbarhari)、この人は女優さんではない。この映画のとおりに生きてきた、アフガンの少女である。
お香屋の少年にモハマド・アリフ・ヘラーティ(Arif Herati)。少女のおかあちゃんにゾベイダ・サハール(Zubaida Sahar)、おばあちゃんにハミダ・レファー(Hamida Refah)。
スタッフもキャストも、みなさん映画なんて初めてである。
タリバン政権崩壊後の復興アフガニスタン初の映画。カメラやマイクやなんやかやは日本のNHKが全面的にサポートして、やっとのことで作った大事にしなければならない作品だ。笑ってばかりのさるおも、さすがにこの作品には非常にまじめに考えさせられました(さるお、だいじょうぶか)。
主役の少女を演じたマリナ・ゴルバハーリは、内戦で2人のおねえちゃんが死んじゃって、5歳のときからストリート・チルドレンとして生き延びてきた。実話そのものではないが、ハーフ・フィクション、いやノン・フィクションに近い。
イスラムのルールを厳格に守る、タリバン政権下のアフガニスタンの過酷な暮らし。女子は男子の同伴がないと外出すら許されず、夫以外の男子としゃべってもいけない。女子は教育も受けてないし、職を持つなんてあり得ない。だけどさ、働き手を戦争で失って、女子ばっかりで困っちゃうのだ。
主人公の一家はちょうどそんな困った家族である。おかあちゃんとおばあちゃんと、12歳の少女の3人。女子ばっかりだもん、家の外にも出られなくて、生活の糧を失った。しょーがないから娘の髪を切り、少年の服を着せて、ミルク屋に働きに出す。
ところが、なんと突然の徴兵!コドモばっかり集めていきなり軍事訓練をやるわけじゃなくて、まずは教育ね、寄宿学校みたいなもんだけど、女子に教育はいらないので、ま、男子校。そこで、なんやかやで、彼女が女子だってことがバレて、いじめられて大騒ぎ、というかわいそうな話である。
女子だってバレたらこわい、働いたことなんてないから外の世界ってこわい。少女は常に怯え、わめき、泣き続ける。徴兵後の学校では「女みたい」かなんか言われていじめられ、バレたときなんかは少年たち全員に追い掛け回されてただひとり泣きながら逃げ惑う。かわいそうすぎるよね。
おばあちゃんが子守歌のように語るんだ。虹が出たら、そこに行って、虹をくぐれば願いが叶う、という伝説を。
さるおね、この映画を楽観的に解釈するの、あんまり好きじゃない。
少女がかわいそうだとか、(この映画がプロパガンダかどうかはさておくとして)タリバン軍ってひどいとかいうのは、それはありだと思う。ただ、それだけの感想の方と、「いつか虹をくぐったら願いが叶うんだっていう映画よね」とか、「希望を捨てるなっていう映画よね」とか、そういう前向きな解釈が好きな方はここから先は読まないでくれー。
たしかに少女はかわいそう。あまりの過酷さにさるおだってぐったりである。
女子が生きられない社会を形成したタリバン政権はたしかにひどすぎる。それこそが、この作品が提起する問題だろうし、個々人の自由を奪い人生を台無しにする深刻な歪みである。
もちろん、その歪みの向こう側に夢や希望はあっていいし、安心や平和や安定した生活という最低限の望みは捨ててはならない。教育も、女子が職を持つことも、あきらめてはいけない。いつか虹をくぐり抜けられると信じてかまわない。
しかし、この作品が描きだして見せたのは、本当に虹だろうか?
おばあちゃんは、本当に夢や希望を語ったのだろうか?
おばあちゃんは孫を勇気づけただろうか?
実際に、小さいが奇麗な虹が映っている。短い時間、ほんの短い時間、我々がその麓にたどり着く前に、虹は消えていく。
作品に登場する虹は、一瞬で消えてしまうのだ。これこそが核心である。
"決して虹をくぐることはできない"
この絶望的な結論こそが、この作品の核心である。哀しい映画だ。
あきらめて生きてゆけ。それがおばあちゃんからのメッセージである。おばあちゃんは決して、闘えとは言わないのである。
女子はみんな、例外なく、自分たちの身の上を嘆く。少女のおかあちゃんも同じである。嘆いてかまわないが、嘆きすぎる。嘆きを語り、嘆きを歌い、嘆くことばかりに時間を費やす。黙々とひたむきに必死で生きるのは少女だけである。
さるおはタリバン政権下のアフガン女子ではないので知りもしないで勝手なことを言ってるだけで、黙れと言われれば黙るしかないが、とにかくどうしても納得いかないのである。嘆くことしかできないのは痛いほどわかるが、そうであってはならない。
生きていけない過酷な社会であっても、いつか時代が変わり、この娘が生きていけるようになる時代のために、嘆いている暇があったら知恵を授けなくてはならない。学問ではない、知恵でいいのだ。心の底に希望の灯をともし続け、ひっそりとでいいからしたたかに、負けずに生きていく知恵を共有しなければならない。それができない大勢の女子を見ていると、社会の悪循環だとわかってはいても、どうしても歯がゆい。後味のよくない作品だ。
こんなことじゃ、決して虹は越えられない。虹を越えさせないのがタリバン政権下のアフガン社会であろう。
この作品は、まったく救いの無いかつてのアフガニスタンを描いている。心の中のかすかな希望の灯火、それすら消えて、被害者であることだけが心を支配している。
歯がゆさと後味の悪さにはもうひとつ原因がある。"はじめてのえいが"なのでしかたがないのだが、嘆きたおすだけの女子の姿がどうしてもさるおを苛立たせる。けたたましくわめき続ける甲高い主人公の声が、さらに拍車をかける。おかげで、作品が提起する問題の核が見えなくなるほどに、とにかく腹立たしい映画だ。その意味においては、完全に"駄作"である。くれぐれも、"はじめてのえいが"だからしょーがないんだけど。
アフガニスタン初の映画、嘆きにフォーカスしてしまったのはしかたがない。
劇中の唯一の清涼剤は"お香屋"である。少女とともに成長し、少女を理解し、少女を励ましたすけ続ける。まるで頼もしいガーディアンなのである。
哀しい映画だ。でもその時代は終わろうとしている。
アフリカ映画史と同じように、アフガニスタンで2本目の映画、3本目の映画には、夢のかけらがあるかもしれない。
観ないよりは観たほうがいい。いや、是非とも観るべきと言いたくなるほどに価値ある作品である。
心ゆくまでさるお、もんち!
いや〜〜重い気分なの、、わかりますよ・・・
私も今年春頃見た時ね、、やっぱり、そうで・・・重すぎてレビュー書くの挫折してしまいましたもん・・・・
そういや、ちょっと前に見た「少女の髪どめ」(イラン映画)も、アフガンから来てる少女がね、男のかっこして、隠れて働いてる・・・って内容でした・・・。
救いが無くて、ラストシーンでさらに追い込まれる感じで、重くて困ったなーと思いつつ、さるおは正直、腹立たしさのせいでレビュー書くの遅れました。しかも、社会に対してというよりも、女子に対して腹を立ててしまった。こーゆーこと書くと怒られることになってんだよなー、と思うと筆が止まります、が、本当にイライラしちゃったよ〜。
『少女の髪どめ』題だけ知ってます。まだ観てません。
> アフガンから来てる少女がね、男のかっこして、隠れて働いてる・・・って内容でした・・・。
なにーっ!そっくりな話!
そういう題材が頻出するような社会なんだよね。やっぱり重いなぁ。でも今度観てみまーす。