2008年02月20日

読書感想文『Harry Potter and the Deathly Hallows』

さるおです。
さるおと一緒に歩いてくださったよい子のみなさん、本当にどうもありがとう。何度もへびの親方に土下座しそうになりましたが(弱い)、みなさんに励まされ、ベラの子分にならずにがんばれました。心から感謝しています。
スーパーポッタリアンなので、愛を込めて、さるおのハリポタツアー後に思ったことを書いておこうと思います。
思いっきりネタバレです。コメント欄も含めて、すごーくご注意ください。

人が成長する過程というのは、多かれ少なかれ、その人なりの痛みを伴う。コドモからオトナへ。親鳥の羽の下で過ごす守られた日々から、いつか勇気を出して自分の足で1歩を踏み出す。そして自分の居場所を探し求め、見つけるその日まで、格闘し続けるわけです、自分自身と。
それが人生。
ハリーもその人生を歩んでます。
だから、やっぱりこれは、ヒーローの話でもなければファンタジーでもなかったなぁ。
青春の物語ですね。学園モノです。この気持ち(感想)は変わりません。
ただ、ハリポタ内の死生観について、"Horcrux"と"The Master of Death"の共存は少々ひっかかりました。つまり、不死への道は2本あった、という点です。2つ目があまりに唐突に登場したので、ここから一気にファンタジーになってしまうのかと心配になりましたね。死んだけど(死にかけたけど)生き返る(三途の川から戻ってくる)、という話に秘宝を使ってしまうと、突然出てきたちょっと紛らわしいだけの小道具、という気がしてならなかった。だけど秘宝を使わないと、AKが当たったのに死ななかった、という大矛盾が生じてしまうから。
でも結局は、その"ファンタジー"なる部分が、うまく死生観としてまとまったような気もします。
"Horcrux"を作ると、つまり自分だけは永遠に死なないぞと欲を出して強引に自身を神格化する行為は、邪悪すぎて自分を痛めつけてしまう。もう取り返しがつかないほどに。
一方で秘宝集めはほんとは誰もがやりたいわけですが、ハリーだけが結果的にこれを達成します、"意図せずに"。"The Master of Death"に値するかどうかは秘宝(死神)が決めることなんですね。
そして、ハリーは死ななければならないという運命は、3つ集めたから死なない、という奇跡の大転換を起こす。これはハリーが求めたことではないし、さらに、ハリーは死と引き換えに世界を救おうなどいう大きなことも考えていなかった。自分が死ねば、世界を救うチャンスを残せる、というだけ。自分にできる最大限のことを、謙虚に遂げようとしたわけです。そしてそこからもう1度立ち上がるわけですね。
考えてみればやっぱり秘宝はAKに対抗する小道具に過ぎなかったわけですが、その意味するものはちゃんとあったわけですね。
命をかける。人生をかける。覚悟を決める。
そーゆー瞬間が、何度かあります、人生には。それは、避けて通れる人もいるかもしれないけれど、あったほうがよい。自分の意志で積極的に、何かを選び、決断し、そこに向かって行こうと1歩ずつ前に進むこと、それには意義があるとダンブルドアが言ったように。
この物語はひとつの人生をおしえてくれるなぁ。

ハリーも含め、オトナもコドモも皆、完全な悪や完全な善ではなく、短所をかかえた複雑な多面体として生きています。壮絶に生き、卑劣に生き、運命に抗い、社会に翻弄され、汚名に甘んじ、正義を信じ、欲にまみれ、自らを呪い、ある者は夢の途中で、またある者は誇り高く死ぬ。
それがこの世界。
やっぱりこれは、ファンタジーなんかではなかった。
人間の不完全さを描いた、人の世の物語ですね。
『LotR』はファンタジーとしての壮大な世界観を見事に描いたと思いますが、ハリポタが描いて見せたのはこの社会そのものです。この社会を生きる人々の姿だからこそ、完全な悪や完全な善など存在しないわけですね。
"完全な悪"に極めて近いところにいるのがヴォルディさんですが、その深い闇を、本当の暗さを、もっと描いてほしかった気はします。見捨てられたコドモの"怨み"というものが、頭の中でどう捩れて、恐怖政治を行う暴君への道を歩み始めたのか。
ダンブルドアに言わせれば、"選択"という行為を行うのがハリー、それができないのがヴォルディなわけですが、だからと言ってなぜ不死と同時に世界を手に入れようとしたのか。
そしてその高みを目指したにもかかわらず、自称天才のヴォルディが策略家になりきれず、幼稚に立ち回ってしまう"オトナのガキ大将"にしかなれなかったのは、彼に"何が"欠落しているせいなのか。
いや、わかるんだけど、もっとはっきり描いてほしかった。
ヴォルディの闇の深さをもっと感じることができれば、ハリーとヴォルディの1対1の対決はもっともっとおもしろかっただろうと思います。

この物語では、多くの血が流れました。その重みは、エピローグにあたる"Nineteen Years Later"を読んではじめてずっしりと感じます。
ここを読み始めたときにね、"19年後"なんて書かなくていいのにー、とじつは思いました。でも、読み終わったときに、やっとその意味と意義がわかりました。
生き残ったハリーたちが手に入れた世界は、顔をあげて自らの意志で戦場に立ち、自分の身体とハートで闘い、勝ち取ったものだということです。
生き残ったハリーたちが19年後に生きる社会は、その闘いで流れた血と、失った者への追悼と喪失感の上に成り立っている世界。
与えられた平穏ではなく、勝ち取った(奪い返した)平穏なんですね。虐げられようとしていた者が(ハリーを革命のシンボルとしたレジスタンスであるホグワーティアンが)独裁を阻止するクーデターの旗を振り、虐げられていた者が(例えばハウスエルフが)市民権をその手に取り戻す。フランス革命がそうだったように、血が流れ、灰が降り、革命が成就する。その土台の上で生きているわけです。父親も母親も次世代が生きる未来のために血を流し、コドモたちは親と志を同じくして戦いそして死んで行く。この犠牲と悲しみと痛みの上にこそ築かれる19年後なわけです。
現代に生き、与えられた日常的な日常を享受する多くの読者に対して、血を流して得た市民権というものが、エピローグによって語られているんですね。
なんとも感慨深い"Nineteen Years Later"です。この章は、なければならなかった。19年後のために、すべてが描かれていたのだから。

そして最後に、7作目『DH』は1作目『PS(SS)』にそっくりだったぁーっ!
『PS』でハリーは魔法界に足を踏み入れます。ハグリッドに連れられ、リーキーを抜け、ダイアゴン横丁を歩き、銀行へ行く。
『DH』ではハーについて、リーキーを抜け、ダイアゴン横丁を歩き、銀行へ行く。前とは違う気持ちで。
『PS』でヘドウィグに出会い、『DH』で別れを告げました。
『PS』で鳥が飛ぶのを見ると、校長先生は大事なときにかぎっていなくなってるわけです。
『DH』でも鳥が飛ぶのを見たら、やっぱりそれはロンドンへの知らせでした。
『PS』の賢者の石、『DH』の甦りの石。あのときのスニッチ。ダンブルドアが鏡に見るものもわかったし。森で敵と対峙する。
『PS』ではクィレルさんがスネイプを語り、『DH』ではハリーが語りました、同じ場面で。
『PS』でダンブルドアが、ハリーの額の傷跡の意味を語ってたし。
他にも、各章ごとにいくつもあります、符号点が、山ほどね。たしかに対になってます。物語自体も含めて。
2巻目は"秘密の部屋"に怪物がいて、その後の人生を支えてくれる人の命を救いました。
6巻目は"必要の部屋"からDEが出てきて、それまでの人生を支えてくれた人を失いました。
3巻目で家族を得て、5巻目で家族を失う。
そしてたしかに、すべてのターニングポイントは4巻目っすよね。
あまりに美しい構成と、あまりに精密な細部。ハリポタは素晴らしいですね。

心ゆくまでさるお、もんち!


この記事へのコメント
さるおさん
まずはこれまでの長きに亘っての翻訳、解説、本当にありがとうございました。原文を読み自分なりに日本語訳に取り組んだ一ファンとして、様々気づかない点に気づき、より深い理解ができたと深く感謝しております。
さて少し本題と離れるかも知れませんが、昨夜こちら英国のTV番組で「Day of The Kamikaze」というドキュメンタリーが放送されました。神風特攻隊の歴史を日米英の関係者や遺族の証言を交えながら説明したものです。一日本人として、日本では決して放送しないむごい死体の映像などもあって、時に目頭を熱くしながらとても複雑な気持ちで見ました。ある程度の事実は知っているつもりでしたが、あの攻撃がどれほどまでに英米の兵士に心理的脅威だったか、しかもそれが原爆投下の遠因だったという解釈は初めて接するもので、少し驚きでした。日本人の扱いが必ずしも過去のステレオタイプの野蛮な異端として扱っていなかったものの、この番組を英国の人たちがどのように見たのか、やはりとても気になりました。捕鯨を絶対の悪として理解しているこの国の人々が、当時の日本人(ひいては今の日本人)がいかにも奇妙な人種と思い込まないかという危惧です。できれば当時の世界情勢から始まって、追い込まれた日本人のメンタリティの結果としての神風特攻隊であったことを説明してくれれば、とないものねだりの思いが残りました。
実はヴォルデモートについて、どうしてもこの日本人的ななにかを感じてしまうのです。結果だけ見るとあまりにも異常な行為の積み重ねも、きっとそれはそれなりになにかやむを得ない理由や屈折した経緯なりがあって欲しいと思うのです。言葉足らずでいつも世界から誤解を受けてしまう日本人のように、ヴォルデモートについてJoはあまりにも言葉足らずだと思うのです。
この物語はハリーの成長の物語で、それはある意味、見事に描かれているのかも知れませんが、それと対峙するヴォルデモートがいかにも薄っぺらな存在に映ってしまうのは、私だけでしょうか?子供向けのファンタジーにそこまで求めることは無理なのかも知れません。でもダンブルドアやスネイプの描写を考えると、すでに子供向けファンタジーの域を超えていると思うのですが...
さるおさんが、19年後が彼らの勝ち取った未来だというご指摘に、いまの日本の平和もものすごい犠牲の上になりたっているのだと、昨日の番組を思い返しながら、つい長々とコメントしてしまいました。すみません。
Posted by ルートヴィッヒ at 2008年02月20日 02:41
 さるおさん!! ハリポタツアーを引率して頂きまして、本当にありがとうございました
私自身、残念ながら英語力が荒井注さんでお馴染み(?)の、This is a pen止まりなので、原書を片手にツアーに参加出来なかったが本当に残念でしたが、それでもさるおさんの言葉で「DH」を読み進める事が出来たのは、本当に幸せでした♪

少し前に第一章からもう一度読み返していて、それが終了してからコメントを書かせて頂こうと思っていたのですが、なかなか読む時間が取れず(汗)、いつになってしまうか不安になったので、先にお礼の言葉を述べさせて頂きます!!!

さるおさん、お忙しい中私達の為にツアーを開催して頂まして、本当にありがとうございました!! オオペコリ
私もさるおさんのように、誰かの為に自分の時間を使えるような、立派な大人になれるようがんばります!!
(あっ、私の方が年だけはずっーっと大人だった・・・・笑)
また、これから先もどうぞ宜しくお願い致します♪
Posted by しのぶ at 2008年02月20日 08:29
さるおさん、ハリポタツアーありがとうございました。一人では読み切れなかったあろうデスリーハロウズを何とか読破できたのはさるおさんのおかげです。読書嫌いの私がハリーポッターに夢中になれたのは本当に幸せ!です。計算されつくした物語ですが、素直に素晴らしい作品だと思いました。きっとJoは語りきれなかったこともたくさんあったんじゃないかな(ページ数の都合などで)、と今では思ってます。デスリーハロウズが映画でやったらずっと泣きっぱなしのような気がします。子供と一緒に行くのは辛いなぁ。
これからもさるおさんに注目していきますので、いろいろよろしくね!!
Posted by ピンク at 2008年02月20日 10:39
素晴しい解説でしめて戴いて、ありがとうございます!
こんなふうに分かり易く教えていただいたおかげで、ハリポタの世界が改めて新鮮に感じられました。
ハリポタ辞典の更新、ありますよね?(期待)楽しみにしております。
Posted by ニンフ at 2008年02月20日 11:42
さるおさん、本当にありがとうございました!本編の解説だけでなく、読後の感想まで私達ツアーメンバーとシェアしてくださったこと感謝です。私もお粗末ですが、感想を少し書かせていただきます。

ハリーポッターは、魔法の世界を描いて、一見子供向けのファンタジーのようですが、さるおさんのおっしゃるように、これは子供向けファンタジーなんかじゃありませんね。青春物語、そして、ある意味、現実の世界より厳しい現実を描いている(大河?)小説だと思います。読んでいてつらい時も多かったです。特にハリーの大切な人々が死んでいく時は…

ちなみに、ルーピン先生は本当は死なない予定だったんですって。本当はアーサーが蛇にかまれたところで死ぬはずだったそうですが、Joがアーサーを殺すのにしのびなくなり、その代わりに、ルーピンとトンクスを殺してしまうことにしたそうです!Joめ!!(まあ、アーサーも好きなので、我慢することにします…)

でも我々人間の現実と同じようなことがおこり、我々人間と同じように、弱い魔法使いもいる魔法界だからこそ、私達はハリポタ世界にここまで魅了されたんだと思います。つらい悲しい思いがあるからこそ、幸せをありがたく思える、愛する人をいとおしく思える、幸せのためには犠牲を払うことも、戦うことも必要、そんな大切なことをハリポタを読むことによって再認識させてもらったような気がします。

ありがとう、ハリポタ。間違いなく私の人生の中で、大切な本の一つです。


ただ…
さるおさん、他の皆さんも書いていらっしゃいますが、ヴォルディに関してはちょっとがっくりです。彼は邪悪な魔法使いとしてかかれていますけど、どうしてそんな魔法使いになってしまったんでしょうか。ただうまれついての邪悪な魔法使いなら、ハリーとの類似点をここまで強調しなくてもよかったのでは?と私は思うのです。

ハリーと似ているヴォルディ、ハリーもみなしご、叔父叔母に育てられているも虐待に近い扱いを受けていたわけですから、孤児院にいたヴォルディーと環境的には大差ないですよね。なぜハリーはまっすぐ育つことが出来て、ヴォルディーは邪悪街道まっしぐらになっちゃったんでしょうか。そりゃ、もともとの性質が違うんだぜ!といわれてしまうかもなんですが、私的にはさるおさんのおっしゃるとおり、トム・リドルがヴォルディーになった過程、その心の闇を書ききってほしかったです。そういう意味では消化不良です。

(あ?もしかしてJo、ヴォルディの話ものちのち書くつもり?)

まだまだ書きたいことはいっぱいあるのですが、なんだかとりとめなくだらだら書いてしまいそうなので、この辺でやめておきます。

最後になりましたが、本当にハリポタツアー楽しませていただきました。さるおさんのツアーがなければ、もう7巻なんて買いもしなかったでしょう。ありがとうございました。
そして、他のメンバーのみなさまのコメントもすっごく楽しく読ませていただきました。
みなさん、ありがとうございます!みなさんとツアーに参加できてよかったです。

ハリポタツアー、これで終了なんでしょうか??寂しい〜。お話は終わってしまったけれど、まだまださるおさんのハリポタ考察みたいなのがあると、ツアーメンバーとしては嬉しいのですが… 私、新婚のさるおさんに望みすぎでしょうか…


Posted by Piromi at 2008年02月20日 13:06
終わってしまいました(泣)更新されるのを今か今かとどきどきして,さるおさんのこの頁にお邪魔した日々がなくなることは,とてもさみしいです。また,さるおさんの優しいお人柄が文章ににじみ出ているのを感じたり,ここを訪れてコメントを残してくださるみなさんが,社会でお会いすることはないかもしれないけれども,きっと素晴らしい方々なんだろうなと温かい気持ちになりました。ありがとうございました。

さて,私もすこし感想を書きたいと思います。わたしは「選び」や「望み」といった言葉にとても考えさせられました。また,「犠牲」ということもテーマかなと感じています。

ハリーは自分でスリザリンはイヤだと言う選びをして,グリフィンドールに。ヴォルデモートはスリザリン的なものを望んでスリザリンに。同じ孤児の境遇であった二人は,ホグワーツに入学したその最初の時から自らの「選び」により,その後の違った道を歩みはじめたのだとおもいました。そのヴォルディとは違う道でハリーは友を得,師と仰ぐ人を得,自分のためではなく人のために,と言う心を学んでいったように思います。ジェームズよりも,また,若き日のダンブルドアよりも,自分以外の者のためにと言う気持ちをもっていたかもしれません。それは,母親が自分自身を犠牲にしてハリーの命を守ったという事実を知ったことが大きなターニングポイントだったのではないかでしょうか・・・。
とにかく,この自分より他人のために,と思えるハリーは,秘宝を手にいれることができ,自分のためにだけ生きたヴォルデモートは手に入れることはできずに,死んでしまいました。

こうかくと,まるで道徳の時間のようですが,こういうことを人生に照らして物語にちりばめ,はらはらどきどきさせてくれたJoの才能はほんとにすごい!!きっと必ず名作として読み続けられるであろうハリーポッターシリーズをリアルタイムで読めて本当に幸せです。さらに,私たちは心にダイレクトに響くさるおさん訳でしたもんね。さるおさん,ほんとうにありがとうございました。そして,お幸せに。でも,これでお別れはイヤですよぉ。
Posted by simon at 2008年02月20日 15:02
本当にありがとうございました。

やはりこれは子供向けのファンタジーでは無いですね。だからこそ1,2の映画があまりに子供向けで激怒したわけですが。小さい子供が読んでも楽しめるけど、大きくなってから読むと別の側面が見えて、もっと楽しめる。素晴らしいシリーズですね。暖気団は「DH」読んでから今までのシリーズを読み返して、これはあの場面の伏線だったのかとか、死んでしまったキャラの活躍っぷりを読んでしんみりとしております。
ありがとうございました。
Posted by 暖気団 at 2008年02月20日 15:43
続きです(笑)。すみません、用事があったもので・・。

私もはろうずの登場にはビックリしましたね。不死の秘宝とか、しかも御伽噺かよ、と。でも結果的には良かったですね。ヴォルディのホークラックスがどこか醜いのに対して、ハリーの生き残り方は何と美しいことか。

また、7巻にはより一層「愛」があふれていたように思います。ダンブルドアが死んでも愛は生き残り続けるんですね(もちろん)。マルフォイ一家とか、結局はみんな「愛」で満ち溢れてるんですね、ヴォルディ以外は。

それに、全ての巻での対比、構成はやはり素晴らしいですね。これには脱帽です。Joは一巻を書き始めた時にどこまで考え尽くしてたんだろうなぁ・・。
Posted by 暖気団 at 2008年02月20日 16:30
私なりの読後感想文。あえてハリーの成長物語という視点を外れて考えてみました。
既に多くの人が指摘しているように、この物語の底流にはWW2時のナチスドイツとヒトラーへの批判が込められていると思います。ナチス党員は死喰い人、ユダヤ弾圧はマグル抑圧に相当しますが、ヒトラーに相当するのはグリンデルヴァルトなのかヴォルデモートなのか、多分双方なのでしょう。
仮にそうだとすると、(ヴォルデモートの心理変化がよく分からないので余計に)グリンデルヴァルトのことが気になってきます。ダンブルドアとの若い日の議論を見る限り、(ヴォルデモート以上に?)彼は世界を支配しようとする思いに、ある意味「真摯に」取り組んだように思えます。
ヒトラーは今や残虐な独裁者、悪魔か狂人のように言われますが、当時のドイツ国民にとっては、WW1敗戦後の疲弊と閉塞感の中、ドイツ国民の優秀性、かつて栄華を誇った国の再現「第三帝国」の夢、そして生活の至る所で首根っこを押さえていたユダヤ人への反感を堂々とアピールしたことで、ヒトラーは実は多くの国民から、特に若い人々から熱狂的な支持を得ていたのも事実のようです。一人の狂人が一夜にして一国をそうそう簡単に動かすことなどありえないのであって、そこにはやはりそれなりの背景があったはずなのです。
そう考えると若いグリンデルヴァルトとダンブルドアが二人して「より善きもののために」行動を起こそうとしたのも無理のないことのように思え、ダンブルドアがその理論の矛盾に気づく一方で、多分グリンデルヴァルトはその思いにひたすらのめり込んでいったであろうことは想像に難くなく、同様な思いを持つ魔法使いが多くいたからこそ、英国を除く多くの欧州の魔法界で力を蓄えていったはずです。
しかし、なにかがグリンデルヴァルトを決定的に変えてしまいます。なにかとはもちろんダンブルドアとの再会です。最強の「ニワトコの杖」を持つ彼がダンブルドアに負けることは(だまし討ちでもしない限り)理論上ありえないし、ダンブルドア自身泣きながら語っているように彼はヌルメンガルトの独房で最後の最後に良心の呵責を示したことを思うと、単に魔法の強弱だけで1945年(WW2終戦と同じ)の戦いでの勝敗が決まったとは思えないのです。
そう考えたとき、この物語は過失からの再生の物語なのだと思います。主な登場人物のほとんどがなんらかの過ちを犯していて、それでもなんとか今を必死で生き抜こうとしています。ダンブルドアもスネイプもルーピンも、ダドリーだって(別れの場面号泣しました)微笑ましいウィーズリー家の中ですらそうです(例えばパーシー)。
だからこそダンブルドアのペットも、彼の騎士団も不死鳥なのだという気がします。
Posted by ルードヴィッヒ at 2008年02月22日 22:03
ルートヴィッヒさん
お礼を言うのはさるおのほうです。いろんなこと教えてもらったなぁ。とても感謝しています。

> 「Day of The Kamikaze」
> あの攻撃がどれほどまでに英米の兵士に心理的脅威だったか、

自爆という勢いは、突っ込むほうも受けるほうもこわいっすね。能動的な分(引き返そうと思えば引き返せるわけで、物理的には)、特攻するほうが嫌だけど(クスリでどーにかしないと)、太刀打ちできない以上は攻撃されるのも嫌だし。おそろしいです。

> 捕鯨を絶対の悪として理解しているこの国の人々が、

にっぽんじんは野蛮かな、今でも。
そして、捕鯨=悪という公式の矛盾や偽善に気づいてほしい、と思ったりしますね。

> 追い込まれた日本人のメンタリティの結果としての神風特攻隊であったことを説明してくれれば、

そうっすねー。
日本人は決して"極端な人々"ではないと思います。どちらかといえば白や黒よりグレーが好きだし、"合理的"な欧米人の思考と比べると"曖昧"ということに慣れてもいる。
誰しも、"キレたら何をするかわからない野蛮人"になる可能性はあるわけで、重要なのは状況なんだよなぁ。追い詰められてこうなった、他に道は無かった、というね。

> 実はヴォルデモートについて、どうしてもこの日本人的ななにかを感じてしまうのです。結果だけ見るとあまりにも異常な行為の積み重ねも、きっとそれはそれなりになにかやむを得ない理由や屈折した経緯なりがあって欲しいと思うのです。言葉足らずでいつも世界から誤解を受けてしまう日本人のように、ヴォルデモートについてJoはあまりにも言葉足らずだと思うのです。

ヴォルディが日本人的だとは思わないんだけど、おっしゃることはわかる。さるおも、それをJoに書いてほしかったんだ。
自分のパパママ周辺のいろいろを知ったヴォルディが、どれほどの絶望や悔しさや恥ずかしさをくぐり抜けてきたのか、どれほどやけくそになって"キレたら何をするかわからない野蛮人"になったのか。なぜ彼にはそれしか道がなかったのか。ヴォルディの真っ黒な情熱の源を描いて見せてほしかった。
その闇を知ってはじめて、ハリーやDDのいる場所の明るさがわかるし、闇と光の衝突がおもしろくなると思います。
ヴォルディにはもっと厚みがあって然るべきだよね。同感っすよー。

> 子供向けのファンタジーにそこまで求めることは無理なのかも知れません。

そんなことないと思うんだけどなぁ。コドモ向けの話はたいてい恐ろしく残酷なもの。(←グリム童話なんかは書き直したりしてよくないぞ、と思います)
闇は闇として、その暗さを書いていいんじゃないか。
そうだ!かなーり難解な言葉で書いちゃえばいいんじゃないかな。

> ヒトラーに相当するのはグリンデルヴァルトなのかヴォルデモートなのか、多分双方なのでしょう。

なるほどー。この部分はいろいろな解釈が成り立ちますね。
さるおは、物語としてヒトラーに相当するのはグリンデルヴァルトだけだと思ってるんですが、なんちゅーか、ヴォルディの存在は、DDにとって第2のヒトラーなんです。DDが犯した2度目の過ち、それがヴォルディ。

> 彼は世界を支配しようとする思いに、ある意味「真摯に」取り組んだように思えます。

うん。さるおもそう思う。
ヒトラーが悪魔ではなく人間だったように、残虐な独裁者ではなく"指導者"だったように、グリンデルバルドにも彼なりの理由と説得力のある理論があったはずだと思います。だからこそ、ブルガリア(?)かどこかできちんと勢力拡大できている。最終的には"恐れられる存在"だったにせよ、初期のグリンデルバルドには支持者がいた可能性があるよね。

DDはグリンデルバルドを愛して夢中になった。そしてグリンデルバルドの理論の矛盾に気づいたとき、別れを怖れて言いわけを考えるほうを選んだ。「より大きな善のために」と。
DDはグリンデルバルドを変えようとしたんだと思います。よい人間になってほしいと、暴力性を抑えようとした。
ところが、人というものはそう簡単には変わらない。自分が変わろうとして努力しない限り、第3者が変えようとしたところで変わらないものです。つまり、DDは失敗した。
そして、あるとき袂を分かち、DDは小さな善きことのために教師になるんですよね。
ここまでがDDと1人目のヒトラーの関係です。
その後DDは2人目(トム)と出会う。グリンデルバルドのようにブリリアントなコドモです。でも今度はわかってた、この子はキケンだと。で、DDはまた、トムを変えようとするんです。ホグワーツでちゃんと躾けてやるぞと。ところが、"人は変わらない"という事実を認めることができず、変われるという夢を信じ続けるのがDD。また失敗だ。
2人のヒトラーの類似性とDDとの関係。そこに、2人目のヒトラー(トム)と、別の類似性を持つハリーという次世代が現れて、DDはすべてを託すわけっすね。

> 最強の「ニワトコの杖」を持つ彼がダンブルドアに負けることは(だまし討ちでもしない限り)理論上ありえないし、

ふたりの間に何があったのか、ここは語られないままですね。DDは自分のほうが若干強いと知っていた。それを信じるならば魔法(スキル)で勝ったと思えるし、いやいや、そーじゃなかったかもしれないなぁ。

> 過失からの再生の物語

なるほどなぁ。深いっすね。さすがルートヴィッヒさん。
過失からの再生の物語。あるいは過失から再生できない人というもの、再生を信じ十字架を背負って生きる人というもの、それを描いたんだなぁ。

> だからこそダンブルドアのペットも、彼の騎士団も不死鳥なのだという気がします。

あー、感動っす。ルートヴィッヒさん、すげー。
再生を信じ、十字架を背負い、喪失の中の希望を探して歩き続ける。
耳を澄ませてフェニックスの歌を追って、だね。
あー、もう感動。ルートヴィッヒさん、すげーよ。
Posted by さるお at 2008年03月01日 00:31
しのぶさん
ハリポタ、おもしろかったねー。ずっと一緒に歩いてくれてありがとうっす。

> 荒井注さんでお馴染み(?)の、This is a pen

わはは!笑けるー。懐かしいっす。

しのぶさんの感想文、楽しみにしてるYO!
Posted by さるお at 2008年03月01日 00:44
ピンクさん

> 計算されつくした物語

ですねぇ。練りに練った力作っすよ。

> きっとJoは語りきれなかったこともたくさんあったんじゃないかな(ページ数の都合などで)、

『DH』は展開が速くてね、どんどん進んでくから、"短くした"んじゃないかって思うよなぁ。

> デスリーハロウズが映画でやったらずっと泣きっぱなしのような気がします。子供と一緒に行くのは辛いなぁ。

お子さんと一緒に泣いてしまえ(笑)。

まだまだハリポタ記事は書くので、今後もよろしくお願いします。
Posted by さるお at 2008年03月01日 00:49
ニンフさん
ハリポタの世界が反射する光りは七色っす。さるおたちが生活するこのマグル社会と同じように奥行きのある世界で、魔法使いたちもふんばってますねー。

> ハリポタ辞典の更新、ありますよね?

あるある。じゃんじゃん書きます。よろしくでございますよ。
Posted by さるお at 2008年03月01日 00:55
Piromiさん
ツアー楽しかったっすね!ハリーと一緒に歩いてよかった。

> 読後の感想まで私達ツアーメンバーとシェアしてくださったこと感謝です。

ツーリストのよい子のみなさんとこうして話ができるのはほんとに幸せ。感謝しています。

> 魔法の世界を描いて、一見子供向けのファンタジーのようですが、さるおさんのおっしゃるように、これは子供向けファンタジーなんかじゃありませんね。

さるおはね、この"魔法"すらファンタジーではないと思っているんだ。意志を強く持ったら、それができる。杖や呪文は単なる道具にすぎない。ハートを燃やしたら、それがちゃんとできる。魔法界もマグルの世界も同じなんだってね。
ハートを燃やす、それが青春物語っすねー。年齢とかじゃなくてさ、心の奥に情熱を持って生きる、青春物語。

> ルーピン先生は本当は死なない予定だったんですって。本当はアーサーが蛇にかまれたところで死ぬはずだったそうですが、

そうなのか!
たすかった1人はアーサーで、死ぬことになった2人がこのご夫婦かー。うーん、そっかー、たしかにまぁいきなり「ふたりの遺体がありましたとさ」って感じだったけど、うーん、そっかー・・・。(ショック)
リーマスは死んじゃうかもって思ったけど、それはアーサーの代わりじゃなくて、ハリーはパパ世代のすべて(パパに代わるもの)を失わないといけないんだと、そう思ったんだけどなぁ。

> 我々人間と同じように、弱い魔法使いもいる魔法界だからこそ、私達はハリポタ世界にここまで魅了されたんだと思います。

弱い魔法使い、そうだね。マグルのこの世界が不公平で不平等で理不尽なのと同じく、魔法界も歪んでいる、そこが出発点だったですね。ここは大事だなぁ。

> ヴォルディに関してはちょっとがっくりです。

やっぱちょっとがっくしだよなぁ。

> うまれついての邪悪な魔法使いなら、ハリーとの類似点をここまで強調しなくてもよかったのでは?と私は思うのです。
> なぜハリーはまっすぐ育つことが出来て、ヴォルディーは邪悪街道まっしぐらになっちゃったんでしょうか。

うん。わかるわかる。
ヴォルディは、近親相姦的スリザリンの闇そのものです。でも、その闇がさらなる暗さを求めた経緯が知りたい。
その闇に日が射すことがなかったのはなぜか。その説明ために"ハリーがヴォルディと酷似していた"はずなのになぁ(すべてがそっくりなのに異なる結果を選択したという対比)。
ここがちょっと弱いっすよね。ほんと、消化不良。

> (あ?もしかしてJo、ヴォルディの話ものちのち書くつもり?)

そーゆーのはやめれー、と思いますよね(笑)。

> ハリポタツアー、これで終了なんでしょうか??

ツアーという意味ではまぁ、19年後まで歩き通してしまったので終わりです。
でも、さるおのハリポタはまだまだ続きます。
考察なんてたいそうなもんじゃねーですが、書きたいことは山ほどあります(笑)。
まだまだ一緒に楽しみましょう。よろしくお願いしますだぞ。
Posted by さるお at 2008年03月01日 01:35
simonさん
終わっちゃったねぇ。淋しいっすよー。

> 更新されるのを今か今かとどきどきして,さるおさんのこの頁にお邪魔した日々がなくなることは,とてもさみしいです。

ずっと一緒に歩いてくださって、嬉しいです、どうもありがとう。ハリーについてきてよかった。楽しかったですね。
さるおのハリポタ記事はまだまだ書きます。よかったらまた遊びにいらしておくれ。いつでも待ってます。

> 「選び」や「望み」といった言葉にとても考えさせられました。また,「犠牲」ということもテーマかなと感じています。

なるほどー。いろんな捉え方があるんだなぁ。
選択するということ、これはとても重要なテーマっすね。自分を見失わず、志す方向へ、勇気を持って歩いて行く。自分自身の積極的な意志で、人生を選び取って行く。とても大事なことだなぁ。

> ホグワーツに入学したその最初の時から自らの「選び」により,その後の違った道を歩みはじめたのだとおもいました。そのヴォルディとは違う道でハリーは友を得,師と仰ぐ人を得,自分のためではなく人のために,と言う心を学んでいったように思います。

そうだね。選択が、異なる結果となり、ハリーはホグワーツで多くのかけがえのないものを得ました。そして、ハリーはもともと痛みのわかる優しい子なんだけど、より心根の優しい子に育ちましたね。

> 母親が自分自身を犠牲にしてハリーの命を守ったという事実を知ったことが大きなターニングポイントだったのではないかでしょうか・・・。

ハリーは物語の随所で、ジェームズに失望し、シリウスに腹を立て、リーマスとぶつかり合い、DDへの信頼まで失う。しまいにはゴドリック・グリフィンドールの正義まであやしくなってくる。心の支えを次々に失うわけです。
でも、リリーに失望したことは1度たりともありません。リリーを信じられなくなったことなど1度もない。母親は、常に、絶対に、ハリーの味方でハリーの守護者でハリーを支え続けている。まったくブレません。
母親という特別さ。ここが根っこっすね。

> 自分のためにだけ生きたヴォルデモートは手に入れることはできず

おっしゃるとーりだなぁ。

> 心にダイレクトに響くさるおさん訳

訛ってたりして、ずっこけ気味のハリポタになってしまいましたYO!

> これでお別れはイヤですよぉ。

お別れなんてしないよ。さるおのハリポタはまだまだ続くから。
Posted by さるお at 2008年03月01日 02:01
暖気団さん
こちらこそ、本当にありがとうです。楽しかったっすねー。

> 1,2の映画があまりに子供向けで激怒したわけですが。

そうなの?怒ってたのか(笑)。

映画はどれが好きですか(今のところ)?
さるおは好きなのも嫌いなのも3作目なんだ。私服に着替えやがってちくしょー、と思いましたが、ハリーがバックビークに乗ったとたんに大絶賛で、結局んとこ、『3』がいちばん素晴らしい(笑)!
映像という点ではものすごい"マンガ"な仕上がり(湖の中でドルフィンキックしている後ろ姿が)が気に入らないので、物語は好きなのに、映画『4』の評価はさるおの中ではガタ落ちっす(爆)。

> 「DH」読んでから今までのシリーズを読み返して、これはあの場面の伏線だったのかとか、死んでしまったキャラの活躍っぷりを読んでしんみりとしております。

さるおもこれから全シリーズを読もうと思ってます。またいちだんと感慨深く読めるんだろうなぁ。

> 私もはろうずの登場にはビックリしましたね。不死の秘宝とか、しかも御伽噺かよ、と。でも結果的には良かったですね。

ほんと、焦ったよー。ここに来て駄作に転落するんじゃないかと、別のスリルがあったもんです。
でもよかった。

> ヴォルディのホークラックスがどこか醜いのに対して、ハリーの生き残り方は何と美しいことか。

この死生観として、はろうずも役割を果たしましたね。

> ダンブルドアが死んでも愛は生き残り続けるんですね(もちろん)。

DDが死んで、"愛"が溢れかえった。いい意味で。そんな印象さえあります。
失ってはじめて、それに気づく。そーゆーのと似ています。DDを失ってはじめてDDを知り、そしてその深遠なプランを、生きる者すべてが引き継いでいった。素晴らしいっすね。
まるほい家のみなさん、生き延びて家族の本当のあるべき姿を取り戻して、よかったなぁ。

> それに、全ての巻での対比、構成はやはり素晴らしいですね。

これはほんとに見事だよね!
『GoF』を鏡にしたように、1は7と、2は6と、3は5と、映し合ってる。特に最後の『King's Cross』は震えるほどに大感動の美しさでした。
絆と喪失、希望と絶望、折れそうな心と勇気で立ち上がる姿、あらゆる対比が美しい。そしてこまか〜い記述まで!
練りに練ったJo渾身の力作、すごいなぁ。
Posted by さるお at 2008年03月01日 02:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。