さるおです。
ひとつ前のエントリーに書いた
映画『ドグラ・マグラ』の感想文、「映像化できてねーな」という目もあてられない結論になってしまった罪悪感に駆られ(汗)、小説の方のことをもう少しだけ書いてみます。映画がすごくダメダメだったわけじゃなくて、なんつーか、すでに"映画"という次元で評価することが不可能な、えーっと、小説の時点で思いっきり怪作なわけで、えーっと、ごめんなさい。
どういう話かというと、"アンポンタン・ポカン君"が(←いきなりですみません)、時計の音とともに、一切の記憶を失い暗い部屋の中で目覚める。自分が誰だか分からないけれども、精神病棟に入れられている。そこに教授が現れて、"狂人解放治療"に参加させられたり、記憶を取り戻すために分厚い書類を見せられるんだけど、あちこちにものすごーい意味深なポカン君自身についてのヒントが散らばっているわけです。すべての登場人物について、ポカン君との"隠された関係"を推理しながら読まないといけない。
ほんでその書類は何かって言うと、ある別の教授の遺書と論文で、異常心理が引き起こしたある奇妙な事件について詳細が盛り込まれている。この書類を読み終えたとき、なんと背後からびっくりする人物が現れて、とんでもなく謎めいてとんでもなくおっそろしい真相がついに語られる。登場人物それぞれの立ち位置、そして、ポカン君とは何者かについて、読者は相当に混乱します。複雑で、極めて怪奇なストーリー。
話長いしね、戦前(昭和10年)に書かれた本なので"今の現代語"ではありません。けど、読みやすい。戸惑うのは初めの数ページだけで、あとはテンポのいい語り口と奇妙で巧妙な謎にひっぱられてぐんぐん読める。
"精神病院はこの世の生地獄"と喝破する、チャカポコ、チャカポコ♪いう歌なんて、聞いたことないくせに、頭の中で勝手にメロディがつきそうに軽快っす。
この小説で驚くのは、ストーリー展開もさることながら、作者・夢野久作の先見性です。
"脳髄は物を考える処に非ず"
書いたの戦前だYO!あまりに衝撃的でござる。
人の脳は、脳のことだけは解き明かすことができないという究極のパラドックスをミステリー小説の中で論じる夢野久作、まるで大脳生理学者っすね。
で、精神病患者と健常人に境目はなくて、誰でもみんな歪んでいて紙一重なんだって。書いたの戦前だYO!こりゃ物議を醸し出す。
そして"胎児の夢"。これはほんと、すごいっす!胎児は、先祖代々遡って、進化の過程を遡って、太古の生命だったころからの記憶(体験)のすべてを夢として見ているという。母親の体内で長い長いそれらの記憶(体験)を追体験して、強烈な遺恨や執着や怨念を細胞ひとつひとつにしっかりと記憶させて生まれてくると。これは荒唐無稽なイマジネーションであると同時に、ある意味、生物学的に間違っていると言えないっすね。胎児って、受精卵から人のカタチになるまでに、進化の過程をたどってます、本当に。一時期、エラのある魚のカタチだったりするもんな。それに、細胞ひとつひとつが記憶装置だというのも、あってますね。(ちなみに、チャールズ・ロバート・ダーウィンの『種の起源』は1859年、グレゴール・ヨハン・メンデルがえんどうまめを栽培していたのは1865年、DNAの発見は1869年だけど、それが遺伝物質だと証明されたのは1944年です。昭和10年は1935年っすよ。で、書き終わったとたんに、1936年3月11日に久作さんは亡くなりました)
昭和初期にこんなもん書いちゃって、ほんとすごいっす。すごくて、キケンです。
胎児よ、胎児、なぜ躍る。母親の心がわかっておそろしいのか。まさに、狂人が書いた狂気の小説。
『ドグラ・マグラ』は一言で言うと"狂人が書いた推理小説"。強烈な怨念や執着を、"遺伝する記憶"として扱ったキワモノでござる。
しかも、推理小説に絶対なければならないはずの時間軸が、ぶれるぶれる。主観と時間軸が交錯して、まさに迷宮。
そればかりか、この小説の中では、繰り返しが多用される。夢の中で見た夢の、その中で見た夢は、果たしてただの夢だろうか?あらゆる場面でこのフラクタルな入れ子構造に気づかされる。ところが、今自分がどの階層にいるのかと聞かれると、ドグラ・マグラ・ワールドの内側からいくら眺めても決して知ることがない。まさに迷宮。
ある日起こった事件について、その翌日になって客観的に思い出しながら語る教授の言葉、によって、その事件を追体験する自分、についての夢を見ることでまた追体験する自分?ぐはぁーっ、まさに迷宮。認識がくつがえり、時間がくつがえり、物語自体がくつがえる。証拠は繰り返されるたびに曖昧さを増していく。
読み終わると考えますね。
アンポンタン・ポカン君と呉一郎は同一なのか?
正木(まさき・イニシャルはM)教授と若林(わかばやし・イニシャルはW)教授はなぜそっくりで、なぜ正反対なのか?(若林教授は椅子に座るとグズグズと正木サイズになっちゃうけど)
答えはそう簡単には出ません。ほんで、答えがみつかるまで、どうーしても考えることを止めさせてくれない(笑)。それが堂廻眩暈の『ドグラ・マグラ』。
これを愛読書と言ってしまって周りから心配されないかどうかが甚だ心配ですが(←さるお的パラドックス。さるおよ、おまえはアンポンタン・ポカン君か)、おもしろいっす。さるおは大好きです。
青空文庫でいろいろ読めるよ。
心ゆくまでさるお、もんち!